2019年、20年ぶりに日本代表がブラジルで開催された南米選手権に出場しました。1999年はパラグアイで開催された南米選手権に出場しています。2002年に日韓大会が予定されている時で日本の経済力の絶頂の良い時代でした。ここでは大会の概要と日本代表の到着・練習の様子を記します。懐かしい顔ぶれを見る事が出来ます。
1・大会主催者
南米サッカー連盟(CSF:本部所在地・パラグアイ・ルケ市)
パラグアイ・サッカー協会
パラグアイ大会組織委員会
2・参加国
CSF加盟南米10ヶ国及び2ヶ国(今回、メキシコと日本を招待)
3・大会期間
1999年 6月29日(開会式)~7月18日
4・会場
(1)主会場:アスンシオン市・デフェンソール・デル・チャコ・スタジアム
(2)会場:アスンシオン市・ポルテーニョ・クラブ
(3)会場:ルケ市・スポルティーボ・ルケーニョ・クラブ
(4)会場:エステ市・ドーセ・デ・オクトゥブレ・クラブ
(5)会場:ペドロ・ファン・カバジェロ市(予定)
(6)会場:エンカルナシオン市(予定)
1998年12月15日に、抽選により4チームづつ3グループに分かれる。(シードはブラジル、アルゼンチン、パラグアイ)最近はこの各国共にこの大会に力を入れて来ており代表チームを送って来ている。前回(97年ボリビア)大会は地力に勝るブラジルと、地元高地の有利さを生かしたボリビアが決勝に進出、ブラジルが優勝した。
南米選手権・コパアメリカに関して
サッカーでは世界最古の大陸別選手権。1,910年にアルゼンチンがウルグアイ、チリを招待した大会が起源になっているが、公式には南米サッカー連盟(CONMEBOL)が創設された16年大会を第1回とする。CONMEBOL加盟10ヶ国がそろったのは75年が初めて。それまではリーグ戦で覇権が争われていたが、75年大会から1次リーグ、決勝トーナメント方式となった。この大会から正式名称が「コパ・アメリカ」となった。
93年からはCONMEBOL以外の国も招待されるようになりメキシコ、米国、コスタリカが出場している。今回は米国が辞退したため2002年W杯を共催する日本も招待された。もし日本が優勝すると、アジアにいながら南米王者の称号を得ることになる。
岡野代表に復帰、今日南米へ出発(6月21日)
メンバー入れ替え 南米選手権の代表メンバーからU―22(22歳以下)日本代表のMF小野伸二(19=浦和)とFW柳沢敦(22=鹿島)がそろって外れた。シドニー五輪アジア1次予選香港ラウンドの前の発表ではメンバー入り。トルシエ監督も「五輪代表から4人ほど連れていくかもしれない」と話していたが、最終的に「今年は1番重要なのは五輪予選」という当初の指針に沿ったもようだ。ほかにFW久保竜彦(23=広島)とDF中西永輔(26=市原)が落選。代わりにFW岡野と、DF鈴木秀人(24)とMF福西崇史(22)の磐田コンビ、清水DF安藤正裕(27)が抜てきされた。
日本代表リスト | |||
位 置 | 氏 名 | 所 属 | 年 齢 |
GK | 川口能活 | 横浜 | 23 |
下田 崇 | 広島 | 23 | |
楢崎正剛 | 名古屋 | 23 | |
DF | 井原正巳 | 横浜 | 31 |
秋田 豊 | 鹿島 | 28 | |
相馬直樹 | 鹿島 | 27 | |
斉藤俊秀 | 清水 | 26 | |
森岡隆三 | 清水 | 23 | |
○安藤正裕 | 清水 | 27 | |
服部年宏 | 磐田 | 25 | |
○鈴木秀人 | 磐田 | 24 | |
MF | 田坂和昭 | 清水 | 27 |
伊東輝悦 | 清水 | 24 | |
藤田俊哉 | 磐田 | 27 | |
名波 浩 | 磐田 | 26 | |
奥 大介 | 磐田 | 23 | |
○福西崇史 | 磐田 | 22 | |
望月重良 | 名古屋 | 25 | |
三浦淳宏 | 横浜 | 24 | |
FW | 中山雅史 | 磐田 | 31 |
呂比須ワグナー | 名古屋 | 30 | |
城 彰二 | 横浜 | 24 | |
○岡野雅行 | 浦和 | 26 | |
(注)○は入れ替わった選手。GK3人のうち1人は、大会直前に登録メンバーから外れる |
このメンバーを見てみますと、中田、小野が不在で名波を司令塔に起用する方針、そして中盤を磐田で固めて、いつも一緒にやっている息のあったメンバーで得 浦和のFW岡野雅行(26=浦和)が、昨年10月28日のエジプト戦以来、約8カ月ぶりに代表に復帰した。南米選手権(29日開幕、パラグアイ)に出場する日本代表メンバーの集合日となる20日、集合先の成田市内のホテルに、ほかの代表メンバーとともに入った。前日19日のナビスコ杯大分戦ではオランダの名門アヤックスで修行した成果を見せて先制点をアシストした。進化した「野人」のスピードが、トルシエ日本の秘密兵器になる。 オランダで成長岡野が代表に帰ってきた。世界と戦うために、スピードが評価された。今年1月からオランダの名門アヤックスで修行し、成長した。「速く鋭いパスとフワリとしたパスを使い分けられるようになった」「前半はダイレクトでパスをはたいておいて、後半からドリブル突破を多くしたり、プレー に変化をつけて相手DFをだますことを覚えた」。自ら得たものは大きかったと言う。オランダでは「頭脳的な選手」という評価を受けるまでになった。
岡野は、この日、外出先で招集の電話連絡を受けた。「急いで家に帰って15分で用意して来ました。選ばれたのはうれしいが、突然すぎて驚きました」。余程慌てたのか、ホテルまでのタクシー代を払い忘れるほどだった。(岡野は、あわててサンダル履きで駆けつけた) 南米選手権では7月5日のボリビア戦がブラジル国境近くで行われる。宿舎はブラジルのため、同国のビザが必要だが未取得。これはアルゼンチンで取得することになった。「コンビに問題はない。代表の得点力不足はチャンスをたくさんつくれば解消するはず。自分の足でチャンスをつくりたい」と意欲を語った。
日本チーム、パラグアイ入り(6月27日)
試合を明後日に控えていよいよ日本チームがアスンシオンに到着しました。予定より多少遅れて正午近くに到着した代表は熱烈な歓迎を受けました。空港に到着するとパラグアイ音楽とダンスで選手一行を迎え秋田選手、呂比須選手などがテレながらも女性達と踊っていました。空港から外へ出ますと当地の日系人が日の丸の小旗を用意しての大歓迎、当地・日系も一気に盛り上がっています。
その後午後1時過ぎに宿舎となります、ホテル・ヨット&ゴルフに入りました。作者はこちらで待ち構えておりましたが、こちらには日本人・日系人は20人くらいと割合と少なく選手達も意外そうな表情でした。(どこへ行っても何時もサポーターに囲まれているからでしょう)監督、選手に挨拶しても気軽に応えてくれました。井原選手は「ここは冬でしょ、暑いですね」と30度近くにもなった気温の話、城選手は終始にこやかで爽やかな印象、その他選手達は元気そうでした。トルシエ監督は非常に紳士で、ファンの写真撮影にも一所懸命応えていました。
チームに随行しているコックさんに話を聞きますと「選手の皆さんはとても元気で食欲もあります、基本的には現地の食事を摂りますが、ご飯と味噌汁は毎食用意しています。」と話をしていました。
その後ホテルで食事を摂り、午後4時過ぎから練習が始まりました。
ホテルの横の2面あるグランドの下の方を使っての練習が始まりました。観客はホテルの宿泊客、ゴルフのキャディー、日本人の報道関係者、サポーターは数名だけというちょっと少ないものでした。
蚊が多く刺されながらの練習となりましたが、シュートの練習に力を入れていました。長いロングパスからチャンスを作る練習を盛んにしていました。作者は初めて日本代表チームの練習を見るので普段の練習は知りませんが、とにかくトルシエさんがよく動くのには驚きました。表情たっぷりにジェスチャーを交えて選手と一緒に動き回っていました。 この日の練習は4時から5時半まで1時間半の短いものでした。麒麟がスポンサーになっているのか練習の合間に飲んでいるのは麒麟のミネラル・ウォーターでした。飲み水を日本から持ち込むというのも面白いですね。
各新聞社の方とも少しお話をさせていただきましたが、皆さん真剣にレポートを書かれていました。柳沢選手はマレーシア戦終了直後に当地に来る公算が強いと話をされていましたが、女性問題で代表をはずれたとかでアジア予選で活躍した・Jリーグ2部(J2)コンサドーレ札幌の吉原宏太(21)が加わることになった。
それにしても当地で日本代表を目の前で見る事が出来るとは思いませんでした。到着してから練習まで見ていましたが、選手達は非常にリラックスしている様子でした。ワールドカップの時には日本で騒ぎ過ぎで、選手に非常な負担が掛かって可哀想でしが、今回は日本国内では余り注目されていないので、選手達ものびのびとやっているように見受けられます。
日本からのサポーターも少しづつは入っているようです。今日到着したサポーターの方に伺うとアメリカンもほとんどサポーターは居なかったと話をしていました。試合まで2日、サポーターの方は明日、明後日がピークになると思います。