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パラグアイの首都アスンシオン市からの発信です!!

政治・経済

パラグアイの政治-02・クーバス大統領亡命・ゴンサレス・マキ大統領就任・野党ジョジット副大統領に当選(1999年-2000年)

1999年から2003年頃までは政治が混乱していました。副大統領暗殺から大統領の亡命、野党候補が副大統領に当選、オビエド氏の逮捕、クーデター騒ぎと情勢は変化、このために経済は振るわず政権が安定する重要性を痛感しました。ただ文章を読むと余りに混乱していたのに逆に驚いています。生活実感とは異なりかなりのんびりと過ごせた時代です。

(1999年03月24日)クーバス大統領への弾劾裁判を下院が可決

23日にアルガーニャ副大統領が射殺され、一気に政治状況が流動的になって来た。24日はバス(近距離、遠距離共)はほとんど止まりアスンシオン市内中心部の商店は閉めたままの店が多く、市民活動も麻痺状態になった。また、少なくとも3日間は外国との出入りが止められて、一時的に鎖国状態になっている。また、外国人を対象として商売を行っているエステ市ではブラジルと結ぶ友好の橋が閉鎖され、市内中心部では、商店はほとんどが閉店し商業活動に重大な障害を来たした。

今回の一連の政治的混乱はクーバス大統領にあり、特に大統領政令でオビエド元将軍を釈放した事は弾劾に当たるとして、国会で大統領への弾劾裁判の可否を決める表決が行われることになり(アルガーニャ副大統領射殺事件で予定より早まった)、下院では弾劾裁判賛成が必要数である3分2を上回り(49-24)可決された。これにより大統領は政治的な求心力を急速に失い窮地に立たされることになった。この投票に欠席になってしまったオビエド派のパパラルド議員は簡単に言いますと「国会に近づくと反対派の妨害に会い全く近づく事が出来なくなった、このままでは間に合わないと思い、歩いていたところ支持者の一人が声を掛けてくれ、その自動車に乗せてもらい、国会に近づいた。しかし反対派の妨害で中に入れず仕方が無く自動車で体当たりして門を開き入った。しかしながら拳銃を持っているとして中に入れず、そうこうしている内に投票は終わってしまった」とのこと、1票が重い中でかなり話題になり、新聞の一面にこの話を取り上げるところもありました。

政治は非常に流動的な情勢となり、色々な噂が飛び交っている。クーデターの噂もあり、一つの例として、テレビで紹介していたのは「空軍が準備している」というもので、早速記者が駆けつけたところ、犯人を探す協力を行う為の協力をしているというものであった。

また本日午後、アルガーニャ副大統領の葬儀が行われた。親類、友人多くの支持者に見送られたが、クーバス大統領は出席しなかった。(出来なかった。)副大統領の不慮の死ということで外国からの弔問客も予想されたが、空港が閉鎖されて出入国を完全に止めているのこともあり、全く来なかった。

またクーバス大統領は大統領自身の命令でオビエド将軍の身柄を拘束したと伝えたがオビエド氏は自分は「自分の意思でここに来た。」と食い違いを見せた。(CNNで繰り返しこの場面が放送された。)

また、内務大臣が辞任し、後任にクーバス大統領の兄弟のカルロス・クーバス氏が任命された。カルロス・クーバスはアルガーニャ派で、政権発足時には商工大臣に就任したが、3日後のオビエド元将軍の釈放に抗議して辞職した経緯がある。

地方の農民の抗議デモが以前からこの日に予定されており、多くの農民が国会付近に終結しており、これとアルガーニャ射殺事件の後、大統領辞職を求める抗議グループとが合体しかなりの数の人がアスンシオン中心部に集まり気勢を挙げた。

その後、農民に関しては負債の減免と借り換えを約束してこちらの方は収束した。

(1999年03月25日)クーバス大統領への弾劾問題、上院へ

昨日の下院での決議を受けてクーバス大統領弾劾問題は上院に舞台を移した。弾劾裁判にはこちら上院でも3分の2の賛成が必要で、水面下の多数工作が激しくなっている模様。(新聞の解説では非常にきわどい)上院の議員数は45なので30票が必要となる。今日は上院で下院の議員による弾劾決議の説明が行われた。新聞(エル・ディーア)紙上に上院議員45人の投票予想があり、意思を表明しているのは42人で13-29、未定3(赤党1、白党1、エンクエントロ1)となっています。与党・赤党の中で大統領・オビエド派は13名という訳で後2人獲得する必要があります。

夜に入り現在も国会前の広場には多くの群集が集まっており花火、爆竹を使い気勢を挙げている。警察隊が出動し放水車などで応戦している。負傷者も出ている模様、テレビで現在も中継が行われ、全国に放送されている。(一日中政治問題が放送されている。)

国会前のほんの一部の地域を除く市内の他の地区は極めて平穏で通常の市民活動が行われていた、ただバスは今日もほとんどストップしていた。夜は早く、暗くなると足早に帰宅する姿が見られた。為替もこの日には元に戻り、金融機関も平常通りの営業となり、特に大きな混乱は無かった。

空港は一応再開されたようだが、フライトスケジュールの正常化までにはまだかなりの時間がかかりそうである。橋なども未だに封鎖されており、輸出入、人間の移動も不可能となっています。また、エステ市は今日も全く商店が閉まり全く止まった状態が続いている。ブラジルから来ている担ぎ屋さんの中には野宿を余儀なくされた人も多かったようです。

新聞の解説によりますと:憲法によると大統領が不在になると副大統領が昇格する。副大統領が不在になると副大統領就任から3年を経過している場合には国会が副大統領指名出来る、それ以内であれば6ヶ月以内に普通選挙を行い決める、とある。もし正副大統領が両方不在になると上院議長がその職を勤めるとある。ただこの期限の規定がはっきりと定められていない。もし選挙で副大統領が決まりこの臨時大統領は上院議員に戻るとすると(そのまま大統領に居続けるということもある?)、当選した副大統領が大統領に昇格するとなると再び副大統領が不在となり、再び副大統領選挙を行うことになる。
(かなり問題がありそう、正副両方が居なくなることを余り想定して考えられていないように思います。)

(1999年03月26日)クーバス大統領、軍の投入を決定。

本日朝のニュースで、今日もバスの無期限ストは解除されず、大半のバスがストップすると伝えている。市民はそれなりの交通手段(主に友人の自動車に乗せてもらう)を使い通勤している。ある程度のバスは運行しているが、投石などのいやがらせがあるようです。

友情の橋などの国境も開かれ、市民生活はそれなりに落ち着きを取り戻しつつあります。テレビの放送もほぼ通常の放送になっています。ただ、週末に入ることもあり、また色々な噂もあるため買いだめを行う市民が多くなっているようです。

昨日、上院では48時間以内に大統領の弁明を求め、火曜日には投票を行うという決議を採択しましたが、大統領派は法律に9日間の猶予があるはずだと反発している。来週は水曜日午後から聖週間(セマナ・サンタ)の休みに入るためそれ以前に早期の決着をしたいという反対派と時間を稼ぎたい大統領派とのせめぎあいが続く模様。

オビエド・クーバス大統領派は反対派に対抗することを目的に田舎に動員を掛けた模様で夕方市内中央部でバスに支持者を乗せて「クーバス、クーバス」と連呼しながら赤党の旗を振りながら走っているバスを見掛けた。(その後彼らはどこに行ったのだろう?)両派の衝突が心配される中、いよいよ大統領は軍隊の投入を決めたことを顧問弁護士が告げた。下院では急遽、下院議長が抗議の発表を行った。テレビでは戦車が出動し中心部に向かう姿を中継し、CNNでも繰り返しこの戦車出動が報道された。国会の前の状況は夜になってもかなりの群集が集まって気勢を挙げているがオビエド派の姿は全く無くなり反対派だけになっている。明日の13時までこのまま徹夜で群集達は気勢を挙げることになると思います。

また、ブラジル・カルドーソ大統領はパラグアイで何らかのクーデターの動きがあれば強い対抗処置を施すと牽制している。

テレビを見ていると花火がまるで激しい銃撃戦のように見え、アスンシオン中が混乱にあるように見えるのはテレビの魔術かも知れません。実際は500メートル四方で騒いでいるだけで作者のアパートは歩いて10分の場所にあるのですが、付近は静まり反っています。ただ、古タイヤを燃やしているようでかなり強い煙の匂いがします。

ほんの一地域を除いてはアスンシオン市内は非常に平穏で、トヨタ・カップのオリンピア-コリンチャスの試合も予定通り行われた。(コリンチャスが2-1で逆転して勝った。)

(写真)若者などが大統領の辞任を求めて騒いだ。(ウルティマ・オーラ紙)

(1999年03月27日)遂に死者が出る、その後落ち着きを取り戻しほぼ平常に戻る

遂に国会前に集まった群集の一人25歳の若者が銃弾を浴びて死亡するという事態に発展した。今回の騒動ではトータル死者5人、負傷者は40人以上に上った。何者かが公園横のビルの上から弾丸を発射した模様。大統領は大統領府にこもり深夜まで本日の対応に追われた。一方の反対派の議員達もかなりの数が国会に集まった。反対派の議員達の様子はしばしばテレビで放映されたのに対して大統領は執務室に篭り、報道陣の前には姿を現さなかった。

テレビ各局は夜を徹して群集が集まる国会前、反対派が集まる国会、大統領府を中継し、時々刻々状況を報道した。

朝になり外出してみたところ、国会付近のほんのごく一部を除いては全く平穏でいつもの土曜日といった様子です。ショッピングもスーパー・マーケットも平常営業で家族連れがかなり来ていた。

13時から予定通り上院での大統領側の反対弁論が開始され17時頃まで続いた。大統領の顧問弁護士は大統領に対する糾弾に対して一つ一つ反論を行った。次ぎの上院会議は29日・月曜日の朝7時半から行われることになり、その際に投票の日時が決定される模様。反対派は30議席の確保に自信を示し、オビエド派はあくまで現在の政権の維持を訴えた。(まだ態度を表明していない数名の獲得合戦になるとCNNは伝えていた。)クーバス大統領は19:00から記者会見に応じたが非常に疲れた表情で自分の正当性を訴えた。なお、一連の混乱の責任を執って警視総監が辞任した。

夜に入るとアスンシオンの街は落ち着きを取り戻しほぼ平常に戻り、テレビの番組も平常放送にほぼ戻った。国会前の公園の群集も居なくなった。

今回騒乱状態となったのは大体競技場一つの広さ程の国会前の公園の非常に限られた地域なのですが、CNNなどを通じて騒乱の場面が繰り返し流されてアスンシオン全体が混乱状態になったような印象を与えていた。

(1999年03月28日)
クーバス大統領辞任、ルイス・アンヘル・ゴンサーレス・マキ 大統領誕生

日曜日になり、アスンシオンも平静さを取り戻した。見掛け上は普段の日曜日と変わらない。上院で月曜日早朝から議会が行われるので皆その成り行きに注目していました。

夜に入り、国会に近くに群集が集まり始め、繰り返し大統領辞任を迫った。その中で大統領は数名の大臣と下院議長と会合に入り、その中で「大統領、混乱が収まるか、さらなる混乱になるか、大統領の決断一つです」と迫った。

19:15分頃、大統領辞任のニュースが国際ニュースとして放送された。大統領は辞任し、オビエド元将軍は家族と共にパラグアイから脱出、ブエノス・アイレス、チグレに在る空港に到着したが、身分証明書が不正であるとして逮捕された。

クバース大統領が辞任の声明、記者会見を行い「私は泥棒とか不正を働いたとかで辞任するのでは無い、ただパラグアイの平穏を願い辞任する」と語り静かに去って行った。続いて上院議長 ルイス・アンヘル・ゴンサーレス・マキ氏が大統領に就任し、大統領宣誓の後、ワスモシ元大統領から大統領のたすきを渡され、国会から大統領府に向かった。(大統領のシンボルであるたすきは本来大統領交代の時に新大統領に引き継がれるものなのですが、クーバス前大統領はワスモシ元大統領からの受け取りを拒否した為、ワスモシ大統領が持っていた。)

アスンシオン市内は歓喜の群集で溢れ、数日前騒動の中心となった国会前の公園には喜ぶ群集で埋まった。歓喜の行進は朝方まで続いた。(ワールドカップで勝った時の様子とよく似ている)

ゴンサーレス・マキ新大統領は51歳、アスンシオン国立大学法学部卒、国立職業訓練センター(SNPP)所長などを経て96年から赤党最高会議のメンバーとなり、昨年の総選挙で上院議員に当選し、上院議長を務めていた。夫人は元ミス・パラグアイ、新政権は挙国体制になる模様で、大統領辞任に向けて共闘を組んだ与党・赤党、青党、エンクエントロの混成内閣なる見通し。

 [アスンシオン(パラグアイ) 28日 ロイター]
 議会に弾劾されているクバス・パラグアイ大統領は28日、辞意を表明した。大統領の後任は、上院議長のルイス・アンジェル・ゴンサレス・マチ氏。 アルガニャ副大統領の殺害と暴動事件を受けて、議会に弾劾されているクバス大統領は、演説のなかで、「政治の問題で、これ以上の流血があっても、私の責任とはならない」と述べた。

議会は、副大統領の死の責任は、クバス大統領と実力者オビエド元陸軍司令官にあるとし、クバス大統領が、96年のクーデターの罪による10年の禁固刑に服させるため、オビエド元陸軍司令官を刑務所に戻すことを拒否したのは、権力の乱用であるとし、大統領の弾劾に踏み切った。

軍は、後任のルイス・アンジェル・ゴンサレス・マッチ上院議長を支持することを表明した。

HEBER CARBALLO 28/03/99

(写真)ルイス・アンヘル・ゴンサーレス・マキ新大統領(ABC・コロール紙)

(1999年03月29日)
平和が戻り、完全に日常に戻る。クーバス大統領、ブラジル亡命へ

全てが日常の状態に戻り、バスも通常運転になり、朝のラッシュが戻って来た。全面解決を受けて街はいつもの表情に戻り、皆明るい笑顔で「おめでとう」という挨拶が交わされていた。軍、警察なども新政権への忠誠を近い、不穏な動きは全く消えた。

新大統領を中心に組閣人事が検討されているようだが、各党それぞれの思惑があるようでなかなかまとまらない様子で、新閣僚の発表までにはまだ時間がかかる見込み。商工大臣にエンクエントロのカバジェーロ・バルガスが確定。人事が最終的に決まるのは水曜日になる見こみ。

正副大統領が不在になっての繰り上げ大統領の任期の規定は無く、副大統領選挙だけを行い、大統領はそのままか、正副大統領選挙を行うべきなのか、早くも与野党の間で論議が始まった。憲法学者など専門家でも意見が分かれており、結論が出るまでもう少し時間がかかる模様。(25日の項を参照して下さい)

昨日アルゼンチンに逃亡したリノ・オビエド元将軍は亡命を申し出、受理された。(アルゼンチンでは受け入れ反対の意見が強い)またクーバス大統領は家族と共にブラジルに去り亡命を申し出こちらも受理された。(こちらはブラジル側が飛行機などを準備した。)

クバース大統領はパラグアイを去る際にいつも靴を磨いていた少年にお別れを言い、最後に「一緒に来るかい?」と聞くと、少年は「はい、大統領の靴を磨く為にお供します」と答え、一緒に亡命でブラジルに向かう飛行機に乗り込んだとのこと。

連立政権・新閣僚(1999年03月31日)

赤党・アルガーニャ派ならびに今までの野党である青党ならびにエンクエントロを含めた連立政権が発足した。これで与党は赤党・アルガーニャ派+青党+エンクエントロとなり、野党?は赤党オビエド派という事になった。赤党オビエド派は依然として国会議席の3分の1を占めている。

新閣僚の陣営は下記の通り。今まで野党であった青党ならいびにエンクエントロから二人づつ入閣した。赤党・アルガーニャ派からは6人が選ばれた。外務、商工というかなり重要な職責には今までの野党側に渡した。

外務: 青党 ミゲル・アボドン・サギエル
農牧: 青党 ルイス・アルベルト・ワグナー 
商工: エンクエントロ ギジェルモ・カバジェロ・バルガス  
法務労働:エンクエントロ シルビオ・フェレイラ  
内務:赤党 ワルター・ボーウェル  
大蔵:赤党 フェルナンド・サーヤス・チリフ  
教育文化:赤党 ニカノール・ドゥアルテ・フルート  
公共事業通信:赤党 ホセ・アルベルト プラナス  
国防:赤党 ネルソン アルガーニャ コントレーラス 
衛生福祉:赤党 マルティン・チオーラ   

副大統領選挙に関しては連立政権統一候補を出すことで調整が進んでいる、現政権で残りの4年4ヶ月を全うするという意見が政権内部で大勢を占めている模様。

赤党の入閣により国会議員の繰り上げが行われるのであるが、パラグアイは完全比例代表制であるため前回の選挙の時のリストに従うことになる、昨年の選挙の際にはオビエド派とアルガーニャ派の混成であったため、今回誰が繰り上がるかで両派で小競り合いがあった。リスト最上位に居たオビエド派の人物が議員の資格があるとして、宣誓を行おうとしてした際に政府側支持者に阻止されるという事件があった。

セイファート元副大統領(ワスモシ政権)も含め数名の政治家、新聞社ナシオンの社主、ラジオ放送関係者などが政治犯で逮捕された。

この日、一連の政治劇の舞台となった国会前広場を通過してみましたが、まだ結構人が集まり余韻が残っていましたが、清掃が行われ騒動の痕跡はほとんどありませんでした。

新政権誕生から一週間が経過(99年04月03日)

政変から約一週間が経過し、市内は完全に落ち着きを取り戻している。作者も久しぶりに国会前に在る広場に足を延ばしてみました。国会の前には未だにラジオの仮放送局が設置されており、若者を中心に多くの人が集まっていました。

(写真)国会前には多くの市民が集まっている。

国会議事堂はこの聖週間の間は市民に開放されており、自由に中に入る事が出来るようになっています。多くの市民、観光客が訪問していました。

(写真)犠牲者の霊に献花する人が絶えない。

政変から2週間が経過して完全に落ち着きを取り戻しているパラグアイですが、クーバス前大統領ならびにオビエド元将軍の周辺の人物が大量の公金を引き出し持ち出していることが非難され、その調査にあたっている。

政変後、最大の焦点となっていた、大統領と副大統領を同時に選挙するのか。もしくは副大統領だけを選挙で選び、大統領は2,003年まで任期があるのか、憲法の解釈でもめていましたが、最高裁判所は「大統領は2,003年まで任期があり、副大統領だけを選挙で選ぶ」との判断を示しました。これにより、今年11月21日に副大統領選挙だけが実施されることになりました。 最大の争点に決着が付き、ようやく一連の政変にも一応の終止符が打たれることになりました。

3月の政変後、ギジェルモ・カバジェロ・バルガスなど数人の大臣の入れ替え、副大統領選挙の実施に関してなど連立政権内部の軋み等もあり、不安定な政局が続いているのですが、亡命しているリノ・オビエド元将軍がアルゼンチンから姿を消した、という事でパラグアイに戻っているのではないか、もしくはウルグアイに居るのではと色々と憶測が出ている。

ウルティマ・オーラ紙では「メナム(アルゼンチン大統領)の贈り物」:オビエドが逃げたと報じている。家族は一番南のフエゴ島からパラグアイ国境にほど近いコリエンテス州に移って来た。このような事でアスンシオン市内には多くの警官が立ち、軍隊などのいざとう場合の出動に備えており、ちょっと緊張した雰囲気になっている。

連立政権の一翼を担っていた青党が政権から離脱を宣言し、今後は野党として政権に意見を述べて行くこととなった。これによりゴンサーレス・マキ政権は赤党とエンクエントロとの連立政権となった。

オビエド支持の一部軍人によるクーデター騒ぎ(2000年 5月21日)

5月18日深夜から19日未明にかけて一部軍人によるクーデター未遂騒ぎが起きた。オビエド元将軍を支持する軍人達が蜂起、タンクを出動させ国会前の広場で発砲した。騒ぎは未明までに収まり首謀者達は逮捕された。3名程の怪我人が出たが犠牲者は無かった。コンサーレス・マキ大統領は向こう30日間の「非常事態宣言」を発した。これにより集会、ストライキなどはこの期間は禁止される。オビエド元将軍は国外でアルゼンチンの記者に対して「クーデターを起こした者は厳正にパラグアイの法律で裁かれるべきである」と発言した。

新聞はトップで特集を組みこの事件を伝えた。各新聞の政治的な立場により微妙に表現が異なっている。ABC紙は「軍隊のクーデターは失敗に終わった」とし、ウルティマ・オーラ紙は「民主主義はオビエド派の攻撃を粉砕した」としている。

一夜明けた19日(金)は既に平静に戻り、アスンシオンでも通常の風景であった。ただし、アメリカン・スクール等の一部の外国系の学校、幼稚園などでは臨時休校の処置を執ったところもあった。朝の交通量は少々少な目でいつものようなラッシュは見られず、様子を見て出勤を控えた人も多かったようです。街角には警官の姿が目立ちはしましたが、商店・事務所・レストラン等も通常の営業を行っており、為替にも目立った変化は無く、クーデターの影響はほとんど無かったようです。

22日、月曜日になり、市民生活は完全に平常に戻り何時ものラッシュになっています。ただし軍事施設付近では軍人が警戒に当たっています。パラグアイの治安が不安で計画している旅行を中止もしくは延期する必要がありますか?というような質問が幾つか来ていますが、今のところ差し支えは無いと思います。21日、日本から飛行機で帰国した方に話を伺ったところ、「空港では何時もよりも荷物の検査は厳しく、2回検査を受けた。」とのことです。またクーデター騒ぎの直後に閉鎖されていたエステ市と対岸のブラジル・フォス市を結ぶ「友情の橋」19日(金)の夕刻には平常に戻っているとのことで陸・空ともアクセスは通常通りに戻っています。

22日(月)の新聞で焦点となっているのは「非常事態宣言」に関してで、政府に対抗する態度を執っているABC・コロール紙は一面トップに「誕生日のパーティーを祝うのにまで警察当局の許可を必要とする」というタイトルを載せていました。

GUSTAVO GAONA 19/05/2000

(写真)国会前に出動した戦車

上の写真は国会前に出撃したクーデター派の戦車、国会の方向に発砲し、建物の一部に被害が出た。


(写真)治安維持に当たる戦車

この写真は19日の朝、軍の施設などの要衝で警戒に当たる軍の様子。作者も事務所の近くでこのような風景を見かけました。

【サンパウロ20日時事】南米パラグアイからの報道によると、昨年の政変で亡命したオビエド元陸軍司令官に近いとされる勢力が18日夜に起こしたクーデター未遂事件で、同国政府は20日、軍人60人と警官21人、民間人12人を逮捕した。同国政府は反乱鎮圧直後の19日にも、国会議員4人を含む60人以上を拘束している。 

 【サンパウロ19日時事】南米パラグアイで18日夜に起きたクーデター未遂事件で、鎮圧された兵士らが支持していたとされるオビエド元陸軍司令官は19日付の同国有力紙ABCコロルに声明文を寄せ、「われわれの政治勢力はいかなる軍事ほう起にもかかわっていない」と事件への関与を強く否定した。しかし、事件調査に当たった国軍と警察の担当者は、あらゆる証拠がオビエド元司令官の関与を示していると指摘。また、ガラベルナ上院議長は米CNNテレビに対し、オビエド元司令官の政敵だったゴンサレス大統領ら政府要人の殺害を反乱兵士が計画していたことを示す文書が見つかったと語った。 

◎オビエド派兵士がクーデター未遂=国軍施設を一時占拠-パラグアイ

 【サンパウロ19日時事】南米パラグアイで18日深夜、アルゼンチンに亡命したオビエド元陸軍司令官を支持する部隊が反乱を起こし、一時的に国軍施設の一部を占拠した。反乱は間もなく国軍部隊によって鎮圧され、参加した将兵は拘束された。同国でクーデター騒ぎが起きたのは、最近4年間で3回目。

 現地からの報道によると、ほう起したのは退役佐官と下士官を中心とした約100人のグループで、国家警察本部と国軍部隊の兵舎を占拠し、ゴンサレス大統領の退陣を要求した。事態を受けて、パラグアイ政府は非常事態を宣言。国会前広場で銃撃戦が展開され、当局によれば民間人3人が負傷したという。 

共同通信ニュース速報

 【リマ19日共同】南米パラグアイの首都アスンシオンで十八日夜、軍兵士と警官の一部が国会に向け発砲し、軍兵舎の一部を占拠するクーデター未遂があった。同国政府は十九日未明、治安維持のため、三十日間の非常事態を宣言した。ホセ・オカンポ国軍統合参謀本部議長は「軍全体を掌握しており、いかなる反乱も認められない」と発表。ゴンサレス大統領はラジオを通じ「危機は抑えられた」と述べ、国民に平静を保つよう訴えた。

 アスンシオンからの報道によると、反乱は現地時間の十八日午後十時半ごろ始まり、当初は激しい爆発音も聞かれた。発砲などによる負傷者はなかった。反乱に加わった兵士の規模は不明。亡命したオビエド元陸軍司令官を支持する兵士らがほう起を試みたとの見方が出ている。    [2000-05-19-17:50]

戦車部隊を移動(2000年 5月24日)

30日間の非常事態宣言が発せられて、街で戦車の姿を見る事が出来、平常に戻るまではまだ多少時間がかかりそうです。さすがに写真を撮る事には躊躇しましたので、新聞に掲載された写真を下記に掲載いたします。この写真はマリスカル・ロペス通りとヘネラル・サントス通りの交叉点だと思います(ヘネラル・サントスは戦車で封鎖されています。)

大統領は今回の騒動を鑑み、未だに不穏な動きも在るといわれ、戦車部隊の大胆な配置変更を行う事を決定しました。現在は第一部隊・アスンシオン、第二部隊・コンセプシオン、第三部隊・エステ市、と主要都市に配置されていますが、これを第一部隊・チャコ、第二部隊・カラガタウ、第三部隊・サン・フアン・バウチスタに変更となりました。都会、特にアスンシオンから遠ざける処置を執った訳です。

Celso Rios 22/05/2000

(写真)街角で見られる戦車の姿(ABC紙)

(写真)実弾が込められています(ABC紙)

オビエド逮捕(2000年 6月12日)

6月11日、パラグアイとの国境の街フォス・ド・イグアス市のアパートに居たオビエド元将軍が武器等不法所持の容疑で逮捕された。建物の8階に居たオビエド元将軍はトイレに隠れているところを逮捕され、ブラジリアに護送されることになった。今後パラグアイ側に引き渡されるかどうかは不明。

フォス・ド・イグアス市はパラグアイとの国境の街であり、ここから携帯電話でパラグアイ国内の支持者などに指示を送っていた模様。髭を伸ばしトイレで捕まったことをウルティマオーラはイラストで伝えている。(下のイラスト)

オビエド元陸軍司令官をブラジルで逮捕 [毎日新聞 6月12日]

 南米ブラジルからの報道によると、パラグアイの陰の実力者、リノ・オビエド元陸軍司令官が11日、フォスドイグアスで逮捕された。同元将軍はクーデター未遂事件の黒幕で、パラグイ当局が行方を追っていた。直接の逮捕容疑は銃の不法所持で、ブラジル警察当局は身柄を首都に移送、パラグアイへの引渡しの是非を検討する。

副大統領選挙(2000年 8月13日)

副大統領選挙の投票が心配されたような大きな混乱も無く、どうやら無事に終了しました。各メディア・グループ出口調査による結果予想では僅差(1~2%)で赤党・アルガーニャ候補の勝利、作者の周囲の意見でも「どんな形」でも赤党が勝つと予想している人が多いようですが、青党支持も強くかなりの僅差となるものと予想されています。候補者は下記の3人です。

赤党(リスト・1)フェリックス・カルロス・アルガーニャ候補(43歳)

青党(リスト・2)フリオ・セサール・フランコ(通称ジョジット)候補(48歳)

人民党(リスト・5)リカルド・ブルマン候補(53歳)

実質的には、アルガーニャ候補とジョジット候補との一騎打ちとなっている。大統領は憲法の規定に従い、1999年3月時点で上院議長を務めていたゴンサーレス・マキ氏で副大統領が欠員となった時には選挙で決める規定となっており、今回の副大統領選挙となった。当選した副大統領は選挙を経て選ばれた人ということになり、選挙を経ず異常事態収拾の為に大統領に繰り上がったゴンサーレス・マキ氏よりも正当性があるという主張がある。

エンクエントロは赤党と連立政権を組んでおり、今回の選挙ではアルガーニャ候補を支持している。

また各新聞社は投票後、出口調査を実施しているが、結果予想を下記の通り、アルガーニャ候補の勝利を2紙が、ABCコロールは青党の勝利を予測している。なお、投票率は55%であった。

即日開票分の結果は下記の通りです。

開票率 90.05%、

ジョジット 候補 47.77%、546,697

アルガーニャ候補 46.93% 537,046

差は僅か9,651、残り僅か10万票となり、ジョジット候補が俄然優 勢と言える状況になっています。ただし、今までの経緯から見るとまた得票に関してもめることになるのではと心配しております。残りの開票は明日行われます。

副大統領選挙-02(2000年 8月14日)

昨日行われた即日開票は90%を超えたところで中止、本日も全く開票作業は行われておりません。昨日の時点で青党・ジョジット候補は勝利宣言を行いました。一方のアルガーニャ候補はまだ開票に希望を持っているとの談話を発表しています。最終的な開票作業が何時までずれ込むか心配されていますが、現在のところ、9月1日に副大統領就任が行われる予定になっています。また今週にも計画されていたストロエスネル元大統領のパラグアイ帰国は赤党の敗北で中止となった模様です。また、新副大統領が大統領に対してその座の求めて裁判所に訴えを起こすことが予想されています。

市内の様子は至って平静で、特に変わった様子はありません。意外なほど静かです。昨晩、残り僅かで開票が突然ストップしたことを訝しがる意見が多く、赤党がこれからインチキ工作を行い、「逆転勝利」とするのではという意見も聞かれますが、大方は青党の勝利という事実を既に認めているようです。選挙結果に対しては色々な意見が聞かれますが、副大統領が野党から選出されたことで今後、一段と政治が混乱するのではないかという危惧の声が多かったように思います。また大手新聞の中には反アルガーニャ・キャンペーンを長期間行い、これが大きく影響したという意見も聞かれます。オビエド派が青党支持に廻ったことも敗因であるとの指摘もあります。(オビエド派が多いアルト・パラナ県では赤党は惨敗しました。)またこの1年半の間、アルガーニャ派による政治に対する評価が低かった事を要因として挙げる意見、長期間にわたる赤党政権自体を嫌がる傾向が増えて来たことを指摘する意見等様々でした。とにかく青党のジョジット氏が副大統領に就任することは確実視されており、また赤党内では選挙の敗因責任を巡って、争いが生じる事が懸念されます。今後はアルガーニャファミリーを始めアルガーニャ派の人達の求心力が急速に薄れて行く事が予想されます。ゴンサーレス・マキ政権が非常に不安定な状態に陥ったことだけは間違いがないと思います。

フリオ・セサール・フランコ・ゴメス氏(JULIO CESAR FRANCO GOMEZ):ジョジット

アルゼンチン国立コルドバ大学医学部卒
1967年 青党に入党
1988年より青党執行委員
1991-1996年:フェルナンド・デラ・モラ市長
1998年 上院議員
1999年 青党党首

妻・三男

副大統領選挙-03(2000年 8月22日)

選挙から1週間以上経過しましたが、未だに公式には最終結果が出ない状態になっています。開票の結果(チェックが為されていない状態で)として発表されているのは、赤党:588,002(46.96%)、青党:598,781(47.82%)となっています。差は僅かに1万票、赤党から選挙に不正があったと抗議が出ています。一番注目されており、赤党がその無効を主張しているのはアルト・パラナ県(エステ市を中心とする地域、イグアス移住地もこの県に在る)の開票結果です。赤党:40,890に対して青党:61,928と2万票以上の開きがあり、余りにも不自然であるというのが赤党の主張です。元々赤党の強い地域であり、負ける県ではなく、2万も差がつくはずは無いと言うのがその主張です。ただ、この地域は赤党でもオビエド支持が強く、また経済危機の打撃を国内で一番受けているエステ市では現政権に対して不満が強いという指摘もあり、この結果は自然であるという見方もあります。

同じ人間が不正に何回も投票したのでは?等と赤党は疑惑を抱いているようで、簡単には収まりそうもありません。これを無効にすると逆に赤党が1万票の勝ちとなるわけです。選挙管理委員会は今日、明日にも最終結果を公表するとしていますが果たして平穏に収まるのでしょうか?アスンシオンの街に出ている警官も増えて来ており、何か事件が起きるのでは?と心配する声もあります。でも特に市民生活での変化は無く、選挙管理委員会の前で一部の人が騒いでいるのを除くと、ごく普通の毎日で市内はいたって平穏です。

副大統領にジョジット(2000年 8月25日)

24日、選挙から10日以上経過してようやく青党のジョジット候補が副大統領に当選という事が正式に決まりました。これは23日にゴンサーレス・マキ大統領が負けを認め、CNNを通じて世界中に流れたことによるものです。一部の赤党の人達は負けを認めず、選挙管理委員会に圧力をかけていましたが、次第に世論の反発が強くなり、負けを認めないと、それこそ逆に政権を失いかねないという判断が働いたものと思われます。街の声としては「青党が勝ったのではなく、赤党が負けたのだ」という声が多かったように思います。長期政権にあぐらをかき、有効な政策を打ち出せず、党内抗争に明け暮れ、最後は片方の派閥で現職の副大統領の暗殺という事態を招いた、青党が副大統領になると混乱するのは?という質問にも既に混乱しているのであるから少しはまともになるのは?という意見が大勢を占めています。


(写真)正式に当選が決まり、パレードするジョジット候補(ウルティマ・オーラ紙)

国政選挙で53年ぶり与党敗北 [毎日新聞8月24日]
パラグアイで昨年3月、暗殺されたルイス・アルガニャ副大統領の後任を決める選挙は13日投票が行われ、開票作業が続けられていたが23日、野党・真正急進自由党のフリオ・フランコ候補(48)の当選が決まった。国政選挙で与党コロラド党が敗れるのは53年ぶり。野党候補の副大統領当選で、クーデター未遂事件が相次いでいる同国の政情不安に拍車がかかりそうだ。選挙はフランコ候補と、暗殺されたアガルニャ氏の息子でコロラド党のフェリクス・アルガニャ候補(43)の一騎打ちだった。開票率約90%となった段階で不正集計の疑いが浮上。両陣営の合意で選管が手作業で再集計を行っていた。AP通信によると、ルイス・ゴンサレス大統領が23日、記者団にアルガニャ候補の敗北を認めた。フランコ候補は「当選したらゴンサレス大統領の辞任を要求する」と明言、大統領との対決姿勢を鮮明にしている。今回の選挙をめぐる混乱の背景には現在、ブラジル当局に身柄拘束されているリノ・オビエド元陸軍司令官の存在がある。元司令官は1997年12月、96年の反乱未遂事件で逮捕されたが、オビエド派のウラル・クバス大統領(当時)が強引に元司令官を釈放。しかし政敵だったアルガニャ副大統領の暗殺に関与した疑惑からクバス大統領とともに国外に亡命。昨年3月、上院議長だったゴンサレス大統領が就任した。今回の選挙ではコロラド党内のオビエド派が造反してフランコ候補の当選を許した経緯がある。

青党、大統領辞任総決起集会を開催(2001年 3月25日)

青党では大統領の辞任を求めて決起集会を開催した。「無能かつ汚職まみれである」としてコンサーレス・マキ大統領の即時辞任を要求し、ジョジット副大統領による民主政権に政権を譲るよう宣言を出した。ジョジット副大統領は「汚職と貧困が国家を不安定にしている」と糾弾した。

赤党は副大統領が選挙で青党が勝利した為、ゴンサーレス大統領を代えたくても代えた場合には選挙で当選した青党のジョジット副大統領に正当性がある為、ゴンサーレス大統領を辞任される事も出来ず機能不全状態となっている。

アスンシオン市長に赤党・エンリケ・リエラ氏 (2001年11月19日)

パラグアイ統一地方選挙の結果、赤党は躍進目覚しく、これに対して青党は各地で苦戦し、首都アスンシオン市を始めフェルナンド・デ・ラ・モラ、ルケなど多くの都市で赤党に敗れた。フィリソーラ候補とリエラ候補との一騎打ちになった注目のアスンシオン市長選挙は新人のリエラ候補が元市長のフィリソーラ候補に(51.8%:42.3%)の得票率で勝利し、10年振りの赤党市長が誕生した。

政府が混乱 (2002年05月30日)

政府の混乱が次第に収集がつかなくなっている事が各紙で報道されています。政府は腐敗し、ゴンサーレス・マキ大統領と与党ニカノル・ドゥアルテ・フルート党首の関係は悪くなるばかり、株式会社とした電電公社(COPACO)の民営化のスケジュールは大幅に遅れており、IMFからあいそをつかされ、政府に抗議する民衆は各地で道路閉鎖を行っています。常識的には大統領が辞任してもおかしくないような状況ですが、その瞬間に選挙で選ばれている野党のフランコ副大統領が大統領に昇格する事になるので、与党としても大統領を辞めさせる訳にはいかずウルティマオーラ紙では「政府不在」という見出しを付けています。

(写真:気勢を挙げる農民・ABC紙)

農民の道路封鎖は国内各地で行われており、経済活動にも大きな影響が出ています。アスンシオンの青果物市場には農作物が入荷しなくなっているようです。

道路封鎖の農民が死亡 (2002年06月05日)

株式会社とした電電公社(COPACO)の民営化を始め、民営化に反対する農民数千名が道路を封鎖し、各地から抗議の為にアスンシオンに向かっているが、遂に封鎖を解除しようとする警官隊と衝突し、一人が死亡、数名が怪我をするという事態にまで発展した。これを受けて政府は電電会社の民営化を凍結する見込みとなった。電話公社の民営化のプロセスに関しては不明朗な点が多く、公証人がサインひとつで54万ドルをせしめる(政府の公証人を使えば無料であったにも拘わらず)など大きな利権の為、腐敗の温床になっているという指摘がなされていた。
これによりIMFとの交渉は暗礁に乗り上げる事になり、現政権は政治経済運営で追い込まれた形になった。

非常事態宣言 (2002年07月15日)

14日、オビエド・シンパによる抗議運動が激しくなる中、政府は5日間の非常事態宣言を発しました。これにより警察に司法の許可無く拘束する権限が与えられました。CNN・スペイン語ではエステ市での警官隊との衝突の様子が映し出されていましたが、ゴム弾を被弾して負傷する人の様子が出ていました。ただ、画面を良く見ますと警官隊の後ろにカメラが付いているのが見えており、それほどの危険は無いと言う事も分かりました。この場面だけを見ていますと何か国中が大混乱の中にあるように思えます。地元の放送局は意識してか余りこのニュースを放送せず、どこを廻しても通常の番組を放映していました。街の様子も抗議運動の人が集まっている場所以外は至って静かという感じでした。エステで800人、その他の地点でもそれ程多くは無く、全国数箇所だけで危ないだけで、それ以外のほとんどの地域は平常通りという感じでした。

非常事態宣言が出た以上、とにかく無用の集会はしない・・という必要があるように思います。どうやら今週は静かなパラグアイとなりそうです。今回の事態は事情が複雑であるように感じます。根は深いものがあり、国民性にまで行き着くのかも知れません。政治的な対立、腐敗・汚職の横行、経済の悪化、アルゼンチンの影響、色々な要素が絡み合っていると思います。

オビエドがフォスから指令を出している、青党の副大統領とオビエドとの間で密約が成立し、大統領失脚の際に青党の副大統領が大統領に上がり、その際にオビエドは無罪放免となり、次期大統領に立候補出来るようにする・・というのがまことしやかに語られ、テレビで赤党の議長がそのことを話題に出していました。どうやらある程度の青党の関与は否定出来ないようです。アレマン銀行で不法な外国への資金逃避に多くの高官、政府関係者が関わっていた事も国民の反発をかっています。腐敗が上から下まで蔓延してどうにもならない状態・・という意見も聞こえます。それでも市民生活にはそれほど大きな影響は無い様にも思います。当方は一日情報をまめに拾っていましたが、多くのアスンシオン市民はほとんど通常の仕事をしていたようです。午後になり非常事態宣言が出てから、早々と店終いする所が増え、夕方には街は閑散としていました。

自らの腐敗政治で求心力を失っているゴンサーレス・マキ政権、政権を投げ出されると青党に政権がわたってしまうので、ゴンサーレス・マキを支持して行くしか無い、赤党、そしてブラジルの国境から揺さぶりを続けるオビエド、国庫が底を尽く状態で政権が残り一年持つかどうか正念場を迎えた事は間違い無いと思います。なお、14日の午後までで抗議デモは終わり、15日にはほとんど正常に戻っています。一番激しくデモ隊が警官隊と衝突したエステ市でも15日には多くの店は平常通りの営業となっていたようですが、ブラジルからの客は少なく街は閑散としていたようです。

危ないのでは?という質問を受けましたが、危ない場所に行けば危ないでしょうが、それ以外のほとんどの場所はいつも通りです。日本より広い国土のパラグアイ、国内数箇所以外はいつもと同じです、安心して下さい。

(写真:ABC紙)

(写真:ロイター)

パラグアイ大統領が非常事態宣言 市民らと治安当局衝突(朝日)
南米パラグアイからの報道によると、ゴンサレス大統領は15日、全土に非常事態宣言を出した。政権の経済政策に不満をもつ市民らが、道路封鎖などの抗議行動に出ており、AFP通信によると治安当局との衝突で2人が死亡、50人以上がけがをし100人が逮捕されているという。数回にわたってクーデター未遂にかかわったとされる元陸軍司令官支持のグループが、抗議行動をあおっていると、政府は非難している。
パラグアイ大統領、抗議活動の激化を受け非常事態を宣言(ロイター)
7月15日、パラグアイ大統領は、抗議活動の激化を受け非常事態を宣言した。[アスンシオン 15日 ロイター] パラグアイのゴンザレス大統領は、非常事態を宣言し、一部の公民権を停止した。パラグアイ当局者が明らかにしたもので、政府の経済政策に対する抗議活動で、11歳の児童を含む少なくとも4人が重傷を負ったことを受けたもの。当局者は、クーデターに失敗しブラジルに亡命しているリノ・オビエド元陸軍司令官を信望する数百人が抗議活動を展開し、国内各地で道路を封鎖している、と発表した。首都アスンシオンから東に320キロメートルの地点のデルエステ市で、抗議活動を行っていた市民800人と警官隊が衝突し、4人が銃弾を受け重傷を負ったという。オビエド氏の広報担当者は、同氏の政治グループが全国規模の抗議活動を呼びかけた事実はない、と述べた。
<非常事態宣言>政府経済政策に抗議 市民2人死亡 パラグアイ(毎日新聞)
南米パラグアイで15日、政府の経済政策に抗議する市民デモが広がり、AFP通信によると警察との衝突で少なくとも2人が死亡した。ゴンサレス大統領は同日、5日間の期限つきで非常事態を宣言した。首都アスンシオンからの報道によると、デモは15日朝からブラジル国境付近のシウダデルエステなどで相次いだ。
経済悪化のパラグアイ、デモ隊衝突で非常事態を宣言(読売新聞)
【リオデジャネイロ15日=本間圭一】南米パラグアイからの報道によると、同国東部エステなどで15日、政府の経済政策に抗議するデモ隊が警官隊と衝突した。地元テレビは、発砲を受けるなどして約10人が負傷した、と伝えた。衝突による緊張が続いており、ルイス・ゴンサレス大統領は同日、治安維持のため、全土に5日間の非常事態を宣言した。同国では、隣国アルゼンチンの経済危機の影響を受け、輸出が落ち込み、貿易収支が悪化。失業率は15%を超え、政府は公務員給与の支払いを滞納し、各地でデモが頻発している。

地元の新聞は次のように伝えています。

政治暴動(ウルティマ・オーラ)
クーデターは失敗に終わった。オビエド派と青党は政府を混乱させる為に暴動を起こした。結局5日間の非常事態宣言となった。
政府は二人を殺害し、非常事態を宣言した(ABC紙)
ゴンサーレス・マキ大統領の辞任を求めて全国各地で抗議行動が起きた。少なくとも2人が死亡し、数百人が銃弾を浴びて怪我をし、約200人が拘束された。全国に5日間の戒厳令を発布し、軍隊に出動を要請した。この処置は議会の承認を得なければならず、自由に拘束出来、集会は禁止となる。抗議は不法行為、政治腐敗、切迫する経済状態に対するもので、青党ならびにウナセ(オビエド党)と連携して行っている。

翌日からは大きな混乱は無く (2002年07月17日)

15日のデモ隊による混乱は早期に片付き、アスンシオン市を始めほとんどの場所では16日には全く平常に戻っています。朝のニュースではバスターミナルからの中継がありましたが、バスも平常通り各地から到着しているとのことで、道路の封鎖も無くなっているようです。余りに平静なので返って驚くほどです。今朝の新聞は新聞の立場で書かれている事が大きく異なり、ABC紙はゴンサーレス大統領の責任であり、事態収拾の為には上院議長に大統領の席を渡すべきだとしている。他の新聞は事件を淡々と伝えており、暴徒として取り扱い、鎮圧されたとしている。

17日朝には大統領が非常事態宣言の解除を発表した。17日の様子は最も混乱したエステ市も含めて平常に戻りました。

(写真:警官隊・15日:ロイター)

パラグアイ警察、反政府抗議行動の鎮圧に乗り出す(ロイター)
7月16日、パラグアイ警察は、主要高速道路を封鎖するなどの反政府抗議行動に対し、鎮圧に乗り出した。写真はアスンシオン郊外の高速道路を封鎖しようとしたデモ参加者の一人を逮捕する警察機動隊(2002年 ロイター) [アスンシオン 16日 ロイター] パラグアイ警察は、政府に対する抗議活動の一環として主要高速道路を封鎖するなどした市民に対し、ゴム弾や催涙ガスを使って鎮圧に乗り出した。 一方、市民の間では、ゴンサレス大統領の辞任を求める声が高まっている。この日は、警察が群衆を解散させようとした際、少なくとも4人の負傷者が出た。15日には抗議行動で2人が死亡、239人が逮捕され、大統領は非常事態を宣言していた。
<パラグアイ>反政府デモをほぼ鎮圧し、非常事態解除へ(毎日新聞)
アスンシオンからの報道によると、南米パラグアイのゴンザレス大統領は16日、反政府デモをほぼ鎮圧したのを受け、前日発令した非常事態宣言を早急に解除すると語った。また来年5月に予定していた大統領選を4月29日に繰り上げ実施すると発表した。
パラグアイ、非常事態宣言を解除(読売新聞)
【ハバナ17日=大屋敷英樹】南米パラグアイのゴンサレス大統領は17日朝(日本時間同夜)、国民向けにテレビ演説し、15日に全土で発令した非常事態宣言の解除を発表した。反政府デモがほぼ鎮圧されたのを受け、19日まで予定していた措置を繰り上げた。

オビエド・シンパの失敗には高い代償(ウルティマ・オーラ・17日)

暴徒の一日であった月曜日からまだ立ち直っておらず、何も結果が出ず、高いコストがかかった。エステでの損害は百万ドルと見積もられ、オビエドはブラジリアに召還された。

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