パラグアイに行こう

パラグアイの首都アスンシオン市からの発信です!!

エッセイ・コラム・独り言

パラグアイについて考える-01

ウェブサイトを立ち上げて以来、パラグアイについて思いついた事を書きとめて来ました。最初の文はもう20年も前のもので現在の状況とはかなり異なっているように思います。当時の状況を知る上でも当時書かれた原文のまま転記します。

パラグアイの気候 (2003年12月21日)
パラグアイに来るずっと以前、世界地図だけで南米について色々と思いを巡らしていた時には、アスンシオンというのは非常に厳しい気象条件にあると想像しておりました。と言いますのは南米の主要都市が海岸とその周辺に在り、内陸部にある程度の都市が在る場合には多くの場合高地にあります。このような事から南米に対しては実際よりも気候風土が厳しいものを想像してのです。内陸国でかつ高地が無いパラグアイは海岸の近くにも高地にも都市を築く事が出来ず、かなり無理をして平地に都市を切り拓いたと思っていたのです。アスンシオンの周辺にも大きな都市は見当たらず、「無理しているのだろう」と思っていました。

アスンシオン市に最初に来て驚いたのは緑豊かな田園都市であったこと、これにはかなり衝撃を受けました。南米に来て分かったのは海岸周辺や高地に都市が多いのは確かに想像していた通り内陸部と比較して住み易い事でしたが、内陸部も決して住み難い場所では無い事を知りました。そこまで無理をする必要が無かったより快適な場所に住めば良いという訳です。

パラグアイの気候の特徴は
(1)年によってかなり異なる、明確な雨季乾季というものは無い
(2)寒暖の差が大きい、日によってもかなり違いますし、一日の中でも異なる
(3)雨が降る時にはすさまじい量が集中して降る事が多い。雷が多い
(4)毎日次第に暑く蒸して来て、雨が来て気温が一気に下がる
(5)晴れの日が多く、快晴で抜けるような青空が広がる。曇りの日は少ない
(6)冬だけはパターンが異なり、小雨がしとしと降り続く事がある
(7)冬は底冷えする日があり、時として零度近くまで下がる事がある

長年当地に暮らしている方に伺いますと、「昔は今より凌ぎやすくクーラー等無くても夜は快適に寝る事が出来た。年々温度が上昇し、雨の量が減り、不規則になっている。温暖化の影響で以前は育つ事が無かった熱帯の作物も問題無く育つようになっている。」というようなものでした。

パラグアイの天気というのは予測が難しいと感じます。まず天気予報ですが、日本などと比較しても余り当たらないように感じます。急に天気が変わる事が多いのですが内陸に位置している為でしょう。それでも最近はCNNの天気予報は精度が上がりかなりの的中率になっています。ただかなり新聞に出る予報と食い違い、その時にはどちらを信じて良いのか迷う事がよくあります。CNNが外れ新聞の方が正しい時もあり、判断に迷います。

パラグアイの天気は毎年かなり違う事が挙げられます。多くの地域では雨季と乾季があり、年による差異はあっても大体同じような傾向で変動します。パラグアイは年による変動が大きいのが特徴です。今年は雨が多い、次の年は少ない、冬は寒い年もあれば、ほとんど夏みたいなままで終わる年もあります。一旦寒くなりどんどんと寒くなると思っていると次の週は暑い日が続くという具合です。降水量も年により大きな変動があり、当地で工事のコンサルタントをされている方の話に拠りますと特に5月の格差は大きく年によりマチマチで数倍の開きがあるそうです。今日は暖房、次の日は冷房という事もあります。蒸し暑い日の次の日は快晴になり、冷え込む事もあります。冬場の気候の変動には要注意です。下に半袖を着て防寒用のジャンパーを着て家を出る時もあります。

当地を旅する人が持って来る旅行案内の本の中にはパラグアイは亜熱帯で全く寒くならないと記載されているものがあるそうです。それを見て半袖だけを用意して当地に来て寒くで震え上がったという話をよく耳にします。日本の家屋は冬向きに出来ており、防寒対策が為されていますが、当地の住宅は暑い夏をどのように乗り切るのかという造りになっています、当然風通しが良くなっており、寒い時には底冷えします。一番寒かった日はアスンシオンで一度まで下がり、氷が張りました。南部では零下になることもあるそうです。短いです。が、寒い時もある事を頭に入れて旅行の準備をされるのが良いと思います。

パラグアイ人とサッカー(2006年 6月 3日)
パラグアイの人にとってサッカーは生活の一部になっているように見えます。南米全体にサッカーが大好きでサッカー無しでは語れない状況と言えますが、北部ベネズエラ、コロンビアでは野球がありますし、ブラジルではバレー、アルゼンチンではラグビーも盛んで世界的なレベルになっています。ここパラグアイではサッカーだけで他に目立つスポーツと言いますとゴルフ、テニスで時々世界的なプレイヤーが出ますが、これは個人のスポーツであり、特殊な人達のものと言えます。サッカーは国民全体に支持されている唯一のスポーツであり、これ以外の球技は実質的には無いも同然、世界のレベルからはほど遠いのが現状と言えます。

サッカーに関しては以前からある程度の力はありましたが、最近は安定して来ているように見えます。ワールドカップはフランス、日韓、ドイツと3大会連続の出場、これは何でもアルゼンチン、ブラジルに次いで三ヶ国目なのだそうで、快挙と言えます。また、アテネオリンピックではアルゼンチンと共に南米代表として出場し、南米代表の二ヶ国で決勝を競い、銀メダルを獲得しています。実績から見ますとサッカーに関しては世界のトップレベルと言えます。

子供から大人まで集まりますとサッカーに興じます。ある程度の規模の会社になりますとメーデーの日は従業員慰労の日としてアサード(肉料理)を用意して楽しみますが、大体サッカーと一緒に楽しむ事が多いようです。テレビでスポーツと言いますとすなわち「サッカー」という感じです。男の子の多くもサッカーが大好きでサッカー選手になりたいというのが多くの男の子の希望のようです。実際に貧困層が貧乏から抜け出る最大のチャンスと言えます。サッカーのプロは多重構造になっており、一部から地域リーグまであり、多くの若者が夢を追っています。大半は夢のままで終わってしまうのでしょうが、突出した選手は上部リーグに駆け上がり、一部リーグで活躍すればアルゼンチン、ブラジル、メキシコ、更には欧州で活躍する道が開けます。

ワールドカップは国別対抗戦で、ファンが熱狂する大イベントですが、多くの選手やサッカー関係者にとっては選手の品評会でもあります。パラグアイを始め南米の選手の多くはここで活躍して自分の価値を高めて売り込むのが目的となります。チームの勝利よりもまず自分のアピール、南米のチームが実力がありながら負ける時にはチーム内での揉め事が原因の場合が多いのですが、一人が目立ち過ぎるとボールが来なくなり、相手に利する事となり負けてしまうのです。欧州で開催する時に南米が優勝出来ないのは欧州のクラブチームに自分を売り込もうとする気持ちが強くなり過ぎるからなのかも知れませんね。ワールドカップの時にはパラグアイは半分休暇状態になります。欧州で開催される時には大体勤務時間と重なりサッカーが気になって仕事に身が入りません。パラグアイの試合の時には完全に国がストップします。国全体が仕事をストップしてテレビ観戦をします。ただ、仕事をする者にとっては頭の痛い事です。この期間は効率が落ちる事を念頭に入れて仕事の計画を立てる必要があります。

ただサッカーが国民全体から好意を持たれているとは限りません。日本ではサッカーと言いますと洒落たスポーツという印象がありますが、南米では庶民のスポーツという見方が一般的です。表には余り出しませんが、嫌悪感を抱き貧乏人の下品なスポーツと見ている人も少なくありません。また女性で関心を持たない人も多いのが特徴で、あれは男どもの野蛮なスポーツと看做しているようです。それでも全体的にはサッカー一色なので、相手がどこのチームのファンなのか知っている事は重要です。多くは二つの人気チーム「セロ」と「オリンピア」のファンなので、若者が来ますと「セリスタ:セロのサポーター」か「オリンピスタ:オリンピアのサポーター」か聞くようにしています。打ち解けて話をするにはサッカーの話題から話を始めるのが手っ取り早いように感じます。

パラグアイ人・ものの考え方(2001年01月28日)
パラグアイはラテン・アメリカの国、その中でパラグアイはどのような特色を持っているのでしょうか?他のラテンの国とは異なる点は大きいのでしょうか?まず国民性として考えられるのは、他のラテン諸国と比較して「おとなしい」という事だと思います。争いを好まない、長いものには巻かれろと言いますか、余り過激な事は好まないという国民性を感じます。10年前まで長い期間「独裁政権」が続いて来たのもこのような理由があるように思います。ブラジル等ですと、リンチとか住民が集団で商店を襲う事件等、多少過激な事件が報じられる事がありますが、パラグアイではそのような事は起き難いように感じます。

次ぎに考えられるのは「楽観的」であることでしょう。何事にも余り深く深刻に考える事は無いように思います。パラグアイ人は「まあ、何とかなるだろう」と思っているように見えます。豊かな大地で適当に暖かく、飢餓する心配の無いパラグアイ、このような考え方になるのも当然かも知れません。例えばペルー、チリは気象条件が異なり、降水量が少なく緑も少ない、このような自然環境の元では考え方がシビアーにならざるを得ません。パラグアイは各国の中間に位置しています。よく言いますと「中庸」、言葉を変えると特徴が無いのかも知れません。これが欠点となるのは「詰めが甘い」という事です。物事を最後まで確認する事が余り得意では無く、大体終わると「終わった」と止めてしまうという感じでしょう。

仕事ぶりに関しては「真面目で働き者である」という評価と「無責任で仕事もせず、要求ばかり」という二つの意見があります。エステ市の友人達でブラジル人を雇用している人が多いのでその理由を尋ねると「ブラジル人の方が仕事をする」というのです。彼らの説明では「サンパウロとアスンシオンのレストランのボーイを比べてごらん」というのです。確かにブラジル人のボーイは気が利き、サービスも行き届いています。パラグアイ人のボーイは手を上げても呼んでもなかなかこちらを見てくれませんし、能力的もかなり見劣りします。「必死に働こう」という意識が不足しているのかも知れません。ただ事務所で働いていて感じるのは確かに「真面目」な人が多いことです。すれておらずコツコツと働くタイプが多いのは事実です。競争原理が働き始めたパラグアイ、労働の質に関してもより上のものが求められるようになればこれも変わって行くのではないでしょうか?

パラグアイ人とは(2003年12月15日)
パラグアイ人というのはどのような人を指すのか考えてみたいと思います。我々も普段何気なく「パラグアイ人」と言っていますが、どのような範疇のどのような人を指して言っているのかはなはだ曖昧です。年配の日系人の方の中には現地の方を指して「外人」という人もいます。さて、パラグアイ人というのは(1)パラグアイ国籍を有する者、(2)人種的にグアラニと欧州系の混血(3)カトリック教徒で風習文化がパラグアイ的であること、の3つの定義が考えられると思います。

パラグアイ国籍を有する人、要するに日系であれ、ドイツ系であれ、インディオであれ、生地主義パラグアイで生まれた人は等しくパラグアイ国籍となります。日系2世の多くの方は日本国籍を有せず、パラグアイ国籍のみであり、パラグアイ人という事になります。次に人種的な側面があると思います。少し色が濃く、グアラニ族(インディオ)と欧州系それもスペイン、ポルトガル系の人達の混血の子孫であるという定義が成り立つと思います。そしてテレレを飲み、グアラニ語を話し、パラグアイが好きで自分がパラグアイ人であると思っているという定義もあると思います。

日系、ドイツ系等に対しては2,3世でパラグアイ生まれでグアラニ語も上手に話をしている人に対しても現地の人は「ドイツ人」「日本人」と呼びます。フランス系、ロシア系などに対しても同じように余り普通のパラグアイ人とは見做されません。人種的にグアラニと欧州系の混血という定義が考えられますが、これも濃淡があり、見かけは白人みたいな人からインディオそのものというような人もいます。ただ、純粋に先住民族の文化風習を踏襲している人達は「パラグアイ人」という定義にはならないようです。またよく理解出来ないのは「ブラジル人」という言い方がある事です。この人達もパラグアイに住んでいる人達と同様に現地の人と移住者の末裔なのですが、言語文化が異なるので「外国人」という扱いなのでしょう。ブラジル系の2世は当然パラグアイ国籍のパラグアイ人なのですが、特に「ブラジル系パラグアイ人」と呼ぶ事が多いようです。

結論としては最初に挙げた3つの条件に関してそれぞれある程度クリアーしている人が「パラグアイ人」なのだと思います。国籍がパラグアイであり、混血でテレレが好きでカトリック教徒、好きな食べ物はプッチェロとアサード、サッカーが大好きな楽観的なちょっとお人良しというような感じでしょうか?

パラグアイ国家としての将来 (2001年01月27日)
パラグアイ共和国はどこに向うのか?国家の将来はどのような形になるのでしょうか?独立国として今まで通り存続するのでしょうか?現在パラグアイはメルコスールの一員であり、メルコスールの経済統合が進み、一般論としては国家としてでは無く、メルコスールの構成員となるように言われています。近未来のパラグアイ、果たして本当にそうなな形になのでしょうか?

メルコスールに関してはEUもしくは、NAFTA、ASEAN等と比較され世界のブロック化の一つと考えられています。EUにはドイツ、NAFTAには米国と世界の機関車が中心にあり、ASEANにはシンガポールと言う知恵者が中心に居ます。これに対して残念ながらメルコスールにはこのような真の牽引車が居ません。その役割は本来はブラジルが担うべきなのでしょうし、多分ブラジル自身は自信があり、出来ると思っているのでしょうが、端から見ているとそれほど簡単には行かないように思います。誇り高きアルゼンチンはブラジル主導には反対するでしょうし、ブラジルは他の構成加盟国の利益を優先するよりは自国優先を露骨に出して来ると考えるからです。ブラジルから見るメルコスールは単に自国の利益だけを優先し、自国の経済圏の拡張を狙う為のものとしか見えないからです。加盟4ヶ国の経済規模が極端に違い、簡単に統合とは行かないと思います。ブラジルとアルゼンチンを中心に自国の都合の押し付け合いに終始しなかなか真の進展は望めないと思います。ブラジル高官が最近「メルコスールの統一通貨は近い将来ブラジル。レアルになるだろう」というような発言がありましたが、これはパラグアイを始め他の加盟国には全くメリットの無い事に気が付いていないように見えます。

インターネットその他の進展で急速に国境の垣根が下がり、国家の持つ意味が低下しています。それでも直ぐにはブラジルなど隣国との統合とはならないように思います。パラグアイの最大のメリット、要するに売りは「独立国」という事にあるからです。ブラジル最南の州であるリオ・クランデ・ド・スール州がもし独立国家であったならばパラグアイ、ウルグアイ等とは比較にならない「強国」になったかも知れませんが、ブラジルに組み込まれた以上はそこの田舎としての地位に甘んじなければなりません。「独立国家」としてのメリットは大きいと思います。アスンシオンで生活していますと、田舎町ですが外見以上に首都として機能している色々な特典を感じます。

パラグアイ国民の大多数は経済規模が違うブラジルとかアルゼンチンと一緒にやって行きたいとは思ってないのではないでしょうか?パラグアイにはほとんどメリットを得られないメルコスールに対しては消極的な参加であると思います。色々な形で引き伸ばして、出来れば無力化し、有名無実化して行きたい、そんな感じでしょうか?メルコスール加盟4ヶ国が同床異夢の状態では急速な進展は無いように思います。

パラグアイとしては今後の外交課題としては「メルコスール」以外のカードを多く手にする事が必要であると思います。ブラジル、アルゼンチンと交渉する際に別のカードをちらつかせる、という必要があるように思います。ボリビア、チリなどの今まで関係の薄かった西の国への接近、そしてそこからアジア・太平洋地域の諸国、そして旧共産圏国への接近など、多面的な外交政策が必要になって来るように思います。

パラグアイその魅力 (2003年03月15日)
パラグアイについて話が出る時に多くのマイナス面が語られる事があります。政治不在、無責任体質、腐敗、司法の未整備等等・・・、国家として魅力が少ない国のように語られる事がよくあります。それでも世界各地から多くの人達が当地に移住して来るのは何らかの魅力があるからだと思います。その魅力は一言で表せば「荒削りの魅力」ではないかと考えています。

戦後日本は貧しく、テレビで見る米国の電化された文化的な生活に憧れ一所懸命働き、欧米諸国に認めてもらおうと努力を重ねていた時期がありました。その当時、欧米の成熟した社会から見ますと貧しくても活気のある社会がとてもまぶしく見えたのだと想像します。今、同じような眼で日本が中国やベトナム等を見ています。このような社会に魅せられて多くの日本人そして企業がアジアへの進出を図っています。しかしながらアジアは人口が多く資源も有り余るほどあるとは言えません、限界はあるように思います。

ここパラグアイの在る南米、アジアの活気とは対照的に南米はかなりの期間、停滞に喘いでいます。しかし潜在的なポテンシャル、土地は広く将来の開発、発展の可能性は比較にならないほど大きなものを持っていると思います。世界を見渡して余裕のある唯一の大陸であると思っています。その南米の中でも一番遅れている、言い方を変えれば手が付けられていないのがパラグアイであると思っています。この眠っているような社会に住んでいますと一面、確かに「これから」を感じます。街には子供が溢れ、アスンシオンでは増える児童を相手にする商売、すなわち学校の新設ラッシュが起きています。「未来の大陸」と言われて久しく、未だにテイクオフ出来ず長い間「未来の大陸」のままでストップしていますが、何時かは大きく羽ばたく日があると思います。荒削りという事は少し削れば効果は大きいという事でもあると思っています。南米が成長過程に入れば長期間持続出来るものと期待しております。

パラグアイ経済 (2001年01月27日)
パラグアイ経済に対してはこの数年来、極度の不振が続いており、かなり厳しい見方が大勢を占めていると思います。経済成長率も、ここのところゼロもしくはマイナスという状況が続き、一人当たりの国民所得も減少しており、マクロ経済の指標を見ていると暗澹たる気持ちになります。将来に対して展望が開けず、新たなる産業の発展も見出せない、農家、特に小規模な農家は壊滅的な状況であり、貧困層は増大の一途であるが、この状態に対して政府は無策であると。確かにパラグアイを取り囲む状況は厳しいと思います。

10年くらい前までは、鎖国に近い独裁政権の元、他の国とは関係無く独自路線を執り、ある程度外の世界と隔絶して、独立した経済の中で孤立したシステムを構築してやって来られ、数十年にわたり安定した生活を続ける事が出来ていました。しかしながら近年様相が急激に変化しています。グローバルな波が押し寄せてきており、個々の産業を見ていると悲鳴に近い、悲観的な見通しばかりが聞こえて来ます。

以前のパラグアイにおいては「南米」という世界が全てであり、その中でもブラジルとアルゼンチンを見ていれば良かった。取り巻く環境がシンプルで分かり易く、国のあり方は非常に単純な構造で済むので、国の舵取りに苦労することもほとんど無かったのでしょう。両国の様子を眺めていて、その間隙を探し、そこに入り込む、それで経済が成り立っていたと思います。今から20年くらい前にパラグアイを訪問した際の印象は、とにかく金融機関が多く、中に入ると大量の札をドルに替えている、その札はブラジルとアルゼンチンのものでした。当時はそれぞれの自国では換金はかなり制限されていたようで、パラグアイに持ち込み外貨に換えていたのでしょう。これだけでパラグアイ経済のかなりの部分が潤っていたのであろうと想像します。

この数年世界は様変わりし、自由化、世界化の波は容赦無くこの南米大陸を襲って来ています。孤立してやって来たパラグアイ経済も世界経済の枠組みに組み込まれてようとし、現在では情報は瞬く間に世界を駆け巡り、距離と言うものは余り大きな意味を為さないようになって来ています。全ての分野について米国が主導する世界基準が適用されるようになり、競争で優位に立った物品、製品が瞬く間に世界を席巻する。農作物に関しても世界の競争に晒され、敗者は市場からの撤退を余儀なくされています。パラグアイでも伝統的な農法で長年平和に暮らして来た中小の農家が大打撃を受けて、農産物以外大きな産業の無いパラグアイ、当然のことながら失業者は増大しています。このような現状から果たして将来へ向けての展望は開けるのでしょうか?

悲観的な見方が多い中で作者はどちらかと言いますとパラグアイ経済には楽観的な見方をしています。「人口」「可能性」「世界化」「競争原理」など幾つかの側面で考えてみます。

まず「人口」に関してですが、アジアの発展途上国等と決定的に異なるのは未だにかなりの過疎であるということです。日本より広い国土を有するパラグアイ、現在の人口は約550万、平坦なこの国土、余裕を持って、まだ現在の10倍の人口を養う事も可能であると思います。そして若年人口が多い、この10年の人口増加率を見ていると毎年2.6~2.7%増えており、10年間で130万人も増加しており、人口ピラミッドが綺麗な円錐形をしています。「若い人が多い」:このことは将来に対する明るさを示していると思います。アスンシオンでは最近、人口が増加している為か私学の設立が目に付きます。今年から日本語学校も日本語補習の学校から普通の私学に転換しました。学校が生徒獲得に競い合い、各学校では、学習内容の充実に努めています。中でも「英語」と「コンピュータ」この二つが教育内容のキーワードになっています。全国また公立校までの拡大にはまだ時間がかかるでしょうが、今までとは違った世代が登場する期待を持っています。

次ぎに「打つ手が多い」、要するに「可能性が多い」という事です。これに対して日本の経済の状態を見ていると悲観的にならざるを得ません、とにかく「打つ手が限られている」、「打つ手が無い」からです。老人層の増大、人口の減少、政府借金の天文学的な増大、資源・食料の外国依存、金融機関・ゼネコン・流通などの膨大な不良債権等など、どのように解決するのか処方箋を見出すのは容易ではありません、問題が先送りされてより一層解決が困難になっているのではないかと思います。「日本再生」は実際には、かなり難しい事でしょう。

これに対してパラグアイ経済に関しては「どうしたら良いのか」と考えると色々なアイデアが出て来ます。政府は昔も今も無策であり、「何もしていない」というのが今までのパラグアイ、どのような絵でも描く事が可能であるように思います。実行出来る事が沢山あるように思います。官に頼るだけで無く、民の力そして国民の意識を変えるだけでも大きな変革をもたらす事が出来るのではないでしょうか。

そして「逆転」の発想。世界化、インターネットを中心とする「IT革命」の波と共に、今まで「不利」であった点が有利になるという「逆転」が世界で起きています。例えば「インド」、アメリカ合州国から一番遠いという事が今は有利に働いています。米国と昼夜が逆である、インドでソフト産業が興隆した一番の点はここにあったと思います。それぞれ日中に仕事をし、それをインターネットで送信する、これでフルに時間が利用出来る事になります。パラグアイは内陸国であり、北半球の大消費地から遠いという地理的なハンディがあり、経済発展の阻害要因になっていたと思います。これが逆に働く、そんな時代に差し掛かったている思います。

パラグアイ経済で今起きている事で一番注目しているのが「競争原理」が働くようになって来ている、という事です。10年前、パラグアイに来た時には競争が無い、社会に見えました。殿様商売が当たり前、日曜日には店舗は閉まり、時間外では食事をするところも無い、商品の価格は売る方が決める売り手上位が当たり前、という状況であったと思います。それがこのところ、劇的に変化しています。旧来型の商売が崩壊して来ているのです。まず一番端的な例としては「外食産業」が挙げられると思います。マクドナルドなどの米国外食産業が進出、そして大型ショッピング内にはレストランと比較すると格安のファーストフード(大体3ドル程度)が並ぶという状況になり、また大型店舗ブラジル・レストランが出来て、食べ放題で10ドル前後で豪華な食事を提供しています。インフレが進む中、外食費はほとんど変化がありません、最近では美味しい中国料理・韓国料理の値段は腹一杯食べて一人当たり2ドル程度にまで下がっています。これにより特色を打ち出せない旧来型のレストランの淘汰が急速に進んでいます。

また数年前から大型スーパーマーケットが次々に開店し、従来のメルカードもしくはよろず屋を駆逐しています。豊富な品揃えで中小の商店を圧倒して来ています。そして最近登場し、盛隆しているのが「大型格安店」。価格破壊がパラグアイでも始まりました。多くの金融機関が不良債権を抱えていますが、旧来型の商売がもはや成り立たなくなって来ていることを示しているものと思います。

金融・保険などのサービス業、農業、そして各種製造業、この10年の間に厳しい競争が生じ、勝者と敗者の二分化が進み、淘汰が進んでいます。その為に経済が不振に陥っているのですが、競争の後には強い者が生き残り、ここに外国資本並びに新規参入者が加わり活性化すれば次第に足腰の強い経済になって行くものと思います。

具体的な経済再生のシナリオは「農業の再生」「マキラ」そして「インターネット」でしょうか。「農業の再生」には難しい問題が多いと思いますが、中期的に見て世界的に余力がある南米は比較有利にあると思います。北半球では現在ギリギリの状態で生産量を押し上げています。水・環境の問題で何時現在の農業が破綻するか分からないと思います。これに比べれば粗放的な南米農業は余力が大きいと思います。

同時に注目しているのが「有機食品」です。世界的な自然志向でオーガニック商品の需要は今後ますます高まるものと予想されています。日本では遺伝子組替食品そして中国などから輸入されている農薬野菜、狂牛病等の問題が発生し食の安全が脅かされる事態となっており、付加価値を付けた食品は今後大いに有望であると思っています。南米そして「パラグアイ」が安全、自然志向のブランドとして定着する事が出来れば市場は大きいと思います。

短期的な問題を乗り切る事が出来れば将来は拓けて来るのではないでしょうか?また、マキラに関しては現在まで「民主導」で進んで来ており、外国からの投資を引きこめるものと期待しております。人に頼るマインドを変えて行く事も大切であると思います。雇用対策としては如何に起業を促進して行くかにかかっていると思います。起業を志す若いエネルギーを引き出し育てて行くシステムを構築する必要があるのでしょう。

そして、「インターネット」には可能性を感じます。現在では24時間繋ぎ放題で100ドルのサービスがあり、これ等を利用すれば反対側の日本のソフト下請けが可能になると思います。日本では、現在インターネットを利用して東南アジアでアニメなどを下請けに出していますが、反対側にある南米は日本にとって大きな魅力になり、大きなメリットがあると思います。コンピュータを利用した産業は多くあります、ソフト、翻訳、図面描き、色々な利用が可能であると思います。当地には多くの日本人が住んでいる、まずその人達の活用、同時に日本人には住み易い国です。

また通信コストの劇的な低下が予想される中、「コールセンター」などのサービスも可能ではないでしょうか?最近沖縄県へIT関連業種が進出していると聞きます。その中で一番目に付くのは「コールセンター」、苦情・各種案内問い合わせに電話で答える部門ですが、電話代が劇的に低下したので、通信費より人件費ということで、ここに移す企業が多いのです。通信費が今後もどんどんと下がれば、例えば夜間専用の「コールセンター」をパラグアイに置く、という発想も出て来るのはないでしょうか?

また、このソフト産業にもマキラ・プロジェクトは利用可能です。このプログラムを活用して当地でも業務を行う。税金は僅かに1%だけ、また当地では生活費は安く、個人所得税も無い、日本から社員を派遣しても人件費の節約となり、採算は充分に成り立つと思います。これには通信インフラの早急な整備ならびに公正な司法制度の確立・法的なアシストが不可欠である事は言うまでありません。

そしてパラグアイの狙いはニッチ市場、ハンディも多く世界の主な市場からも遠いので大量に製品を輸出するのは難しいと考えられます。ルケ市に在るある会社では「犬の玩具」を生産し、米国などに輸出しています。牛の臓物や皮等を硬くし、骨状に加工しているのですが、内臓・皮自体は精肉を取る際の副産物ですが、それ自体の価格は低く、変質し易いので輸出には向かず、食料として内蔵を余り好まないパラグアイでは他の国よりもより価格が安くなり、輸送コストを勘案しても割安になるという訳です。このような市場規模の小さいニッチな製品を狙うのが良いのかも知れません。難しく考えず少しのアイデアでニッチ市場の商品を開拓する事も可能であると思います。例えば犬の餌「ドック・フード」はパラグアイでは輸入品で高価なものです。以前はドックフード等買う家庭は多くはありませんでしたが、現在ではスーパーに大量に並んでいます。材料は全て国内に揃っているのですから、これなど国産が無いのが不思議です。配合飼料を作る能力がある工場でしたら簡単に作れると思います。もし輸入物の半額程度で販売する事が出来れば国内市場を独占する事が出来るでしょう。また隣国へ逆に輸出する事も可能であると思います。(パラグアイ製もありますが、かなり見劣りするものです)

パラグアイの人口 (2001年03月23日)
パラグアイの人口に関して考えてみたいと思います。メーリングリストの投稿から
ジョージ・ペンデル著「パラグアイ」(第3版、1967年 オクスフォード大学出版)の中にありました。 

1863年   525,000 
1871年   221,000 
1900年   490,000 
1936年   931,000 
1940年  1,014,800 
1942年  1,071,700

1871年に人口は大きく減少しているが、1871年は、パラグアイが ブラジル、ウルグアイ、アルゼンチンの3国同盟を相手に戦った 「パラグアイ戦争(三国同盟戦争)」が終わった翌年で、 この221,000人の内訳は女性が106,254人、86,079人が子供、 男性はわずか28,746人だったといいます。 つまり空前の男日照りになったわけで、私が初めてパラグアイに 出張した1965年にすら、「パラグアイでは道を歩いていると樹から 女が降ってくる」というような悪い冗談をいわれた記憶があります。 

最近10年間の人口の推移は下記の通りです。ここに来て10年ですが 人口が増えていると実感します。年々多少ですが人口増加率は減少して 来ています。現在は550万を多少超えた程度であると思います。 人口 

90   4,218,732
91   4,334,186 
92   4,452,800
93   4,574,660
94   4,699,855
95   4,828,476
96   4,955,238
97   5,085,327
98   5,218,833
99   5,355,843
00   5,495,095

この10年の人口増加率(%) は以下の通りです 3.2  2.7  2.7  2.7  2.7  2.7  2.6  2.6  2.6  2.6  2.6 このまま2.6%で推移すると2,024年には1千万を 突破します。 またこの表から僅か100年の間に10倍も増えている事が分かります。今でも過疎のパラグアイですが、100年前には本当に鬱蒼とした森林や潅木が無限に広がる世界であったのでしょうね。またこの10年で100万人以上増えているというのも考えてみればすごい事であると思います。毎年15万人程度増えている、雇用確保が叫ばれていますが、今後「仕事を作る」というのはますます重要な事になるのでしょう。

パラグアイの数字 (2002年02月24日)
パラグアイに住んでいてパラグアイ人の算数の能力の低さには驚きます。足し算などの簡単な計算は大体の人が出来ますが数学的の基本概念となりますとほとんどお手上げという感じがします。これには言語の問題も多少はあるように思います。英語もそうですが、11~19までに関しては単語が別にあり、日本語の方がずっとシンプルで分かり易いし短い。例えば19、日本語の「じゅうく」に対して「ディエシヌエヴェ」倍以上の時間が必要となります。

そして欧州言語では3づつ区切るのも影響しているように思います。日本は中国式で非常に合理的であり、4つづつ億・兆京・垓・予・穣・溝・澗・正・載・極・・・など単位もきちんと決まっており、ゼロが40、50あるような多少の天文学的な数字でも困る事はありません。これに対してスペイン語では3つづつ、百万の3桁上は千百万(ミル・ミジョン)などと言い桁の上がり方も不規則です。ビジョンという単語に対しても10億を指す時と1兆を示す場合とがあるようでどうもよく分かりません。3つづつですと二乗する場合の計算が難しくなる欠点もあります。そして困る事としては、コンマとピリオドが反対という事です。

この3つづつの習慣で悪いのは電話番号の呼び方です。電話に関しては例えば「491-917」という番号があります日本はでは大体の場合に「よんきゅういちの きゅういちなな」とひとつづつの数字を読み上げると思います。ブラジルもこれとほぼ同様の呼び方をしていたように記憶しています。(ただし6に対しては半分という意味のメイヤを使っていました)パラグアイでは便宜的に日本語で説明すると「よんひゃくきゅうじゅういち、きゅうひゃくじゅうなな」というような言い方をします。この場合のように全部ゼロ以外の数字で構成されている場合は良いのですが「606-070」のような場合には「ろっぴゃくろく、ななじゅう」と言います。これを聞きますと全体で6桁であるという事が分かっていればほぼ「606-070」と聞き取れますが、そうでない場合には「60670」と5桁に聞こえてしまいます、少なくともどちらか分かりません。これを避けるようパラグアイの人には「ろくじゅう、ろくじゅう、ななじゅう」と言います。これですと相手は3桁で書き取る頭しか無いので大混乱していまいます。それで日本と同じように「ろくぜろろくぜろななぜろ」と言いますとこれが全く理解出来ない。ゼロが滅茶苦茶な場所に入ってしまうのです。おまけにまず間違い無く確認しない、「分かった」と言って電話を切ろうとするのです。「ちょっと待った!!書き取った番号を繰り返してくれ!!」と大急ぎで言いますと相手はまず多くの場合には自信たっぷりに間違った番号を言います。「違う違うもう一度言うから聞いてくれ」と言い何回も「ろくぜろろくぜろななぜろ」を繰り返すのですがなかなか理解出来ない。仕方が無いので「最初の数字はろく、二番目の数字はぜろ、三番目の数字はろく、四番目はぜろ・・」と説明しますがこれでも理解出来ないのが普通なのです。何事人の固定概念を変えるのは難しいものです。

パラグアイと一番似ている国は? (2002年03月17日)
パラグアイと一番似ている国はどこか?と考える事があります。常識的に考えますと、隣国のブラジルそしてアルゼンチンが文化的に一番近いということになるでしょう。この両国の社会規模は巨大な為、社会のあり方は全く異なっているように思います。そして立場的には同じメルコスール内の弱小国家であるウルグアイが一番近いのかも知れません。実際、パラグアイとウルグアイを混同し、隣国であると思っている日本人の方も多い、しかしながら実際にはウルグアイは社会が熟成しており、悪く言えば社会が硬直化しており、ある程度出来上がった社会となっている。人種的にも欧州系が大半を占めており街の雰囲気もかなり違いますし、海があるので内陸国であるパラグアイとは違った文化のように感じます。

そしてボリビア、この国とパラグアイだけが南米の中の内陸国であり、隣国です。地政的にはここが一番似ているのかも知れません。しかしながら住んでいて分かったのは両国間には余り交流が盛んとは言えず、戦争で多くの犠牲者を出した歴史も災いして余り友好的では無く両国間の道路も未だに未舗装のままです。ボリビアに対しては新聞で「サッカーで対戦する時に思い出す程度の国」表現が為された事がありますが、歴史的にもボリビアは元々「アルト・ペルー」という名称であった事でも分かりますようにペルーとの結びつきが強く、一方パラグアイはアルゼンチン等と同じ「ラプラタ地域」であり、その為に文化・風習・食物もかなり異なっているように思います。人種的にもボリビアはインディオが中心の国でラパスなど国の中枢部分はアンデス山脈の中にあり、高度が高い場所にあり見た目にもかなり違った様子になっています。同じラテンで隣国でありながら両国はかなり違った状況になっていると思います。

ラテンアメリカの中でコスタリカがある程度近いのかも知れません。治安が比較的良く、こじんまりと、良くまとまっている、北米などからのシルバー移住が多く、日本からラテンアメリカにシルバー移住される方はよく両国を比較されます。勿論地理的に離れているのですが、ラテンアメリカでのポジションを考えた場合にはある意味では近い立場にあるのかも知れません。そのように立場という視点で見ればエクアドルも似ているのかも知れません。

世界的に考えて見ますと、パラグアイと似ている国としてはジンバブエがまず挙げられると思います。ジンバブエは旧南ローデシア、アフリカ南部の内陸国で、南半球に位置しており、緯度もほとんど同じくらい。また国の大きさはパラグアイとほとんど同じです。(1~2%くらいしか違わない)また、アフリカの強国「南アフリカ」と国境を接しており、その影響を強く受けています。特に経済的には南アフリカ次第と言って過言ではないように思います。パラグアイのブラジル頼みと似ているように思います。そして国の一番端(西側)ボツワナ、ナミビア、ザンビアとの4国国境地帯に世界三大瀑布に数えられる「ビクトリアの滝」があります。この点もパラグアイのイグアスの滝と似ているように思います。(国境地帯にエステ市のような存在があるのかは分かりませんが)大陸は違いますが似た環境にあるので将来「良いお友達」になれるように思っています。

そしてもう一つ似ていると考えられるのがアジアの内陸国ラオスです。パラグアイ河のようにメコン河が流れており、河を挟んで首都の反対側はタイ・ノン・カイです。首都・ビエンチャン自体がエステ市のようなものなのかも知れません。そしてこの両国の間には「友情の橋」が架かっている、そこから多くの物資がタイから流れて来る。まさしくパラグアイとブラジルの光景と似ているように思いますが如何でしょうか?国境地帯ではラオスのお金よりもタイ・バーツが幅を利かせているそうで、これもブラジル・レアルの立場と似ているように思います。ウズベギスタンなどの中央アジアにも発展途上の内陸国がありますが、余りにも海に遠いのでパラグアイの状況とは異なるように思います。周囲も内陸国なので立地的なハンディが少ないように思います。ウズベギスタンには大宇自動車の合弁工場がありますが、隣国が海を持つパラグアイでは招致が難しいと思います。

地図を見てパラグアイと似ている国を探していますと世界には数多くの内陸国がある事に気がつきます。海を有する国と比較して輸送面を始めかなり不利な条件が多いように思います。経済的に抱える問題は共通のものが多いのではないでしょうか?また、今世界の沿岸国は人類共通の財産である海の自国への囲い込みに懸命になっています。この事に対して内陸国には発言権は無いのでしょうか?貴重な地球財産への利権をたまたま海に面している国特に長い海岸線を持つ国々に独占されるのを黙って見過ごす事は無いように思います。ボリビア、ラオス、ジンバブエ等世界の内陸国と連携を取り共通の問題に対処して行く必要があるように感じます。

(MLの方の投稿:)
ラオスの首都ビエンチャンとタイとの国境はメコン河です。タイのノーン・カイからはビエンチャンの町がよく見えます。ちょうどエンカルナシオンからポサーダスを見るのとよく似ています。でも、首都ビエンチャンはエステとは全く異なる街です。商業基地でもないし、農村がそのまま広がっているという感じです。一言でいえば、まだ発展途上国にあった30年前のタイの田舎の街といった感じです。人々の生活もゆったりと時を刻んででいます。仏教国ですが日本に伝わった仏教とはちがう小乗仏教ですから、戒律は厳しく、敬虔な仏教徒が多く、街で一番立派な建築物は寺院です。

そういえばパラグアイと似ているところがあります。地下資源もなく、大企業や大工場もなく、勿論外国資本の投資もありません。日用品はビエンチャンを通して入ってくるタイ製品です。さらに観光立国でもなく、バンコクやチェンマイまで行く観光客はいても、橋を越えたり船で渡ればすぐのラオスまで足を延ばす人はまずいません。又、タイの貨幣のバーツがそのまま通用しますし、ラオス語もタイ語とよく似ています。ポルトガル語とスペイン語のような関係です。タイの東北部はこのラオスの文化と酷似していて、言葉はラオスなまりですし、食べ物はバンコクとは違っています。しかも、タイ人はこのラオス人をかなり馬鹿にしている傾向があります。人の悪口を言うときに「コン・ラーオ」(ラオス人)と言うのです。自分たちと違ってまだ田舎者なんだという意味あいがあります。

タイの有名なエメラルド寺院の仏像が、ラオスとの戦争の時にラオス側に盗られた話は有名です。最後にもうひとつ。4月初旬に「水かけまつり」があります。エンカルナシオンのカーニバルの時と同じように、この日は誰にも水をかけていいのです。バケツの水を後ろからドバッーとかけられます。同時に石灰のような白い粉を顔や背中につけられます。エンカルのスプレーに似ていますね。これはもちろんタイにもあります。「ソンクラー」と呼ばれるお祭りです。ラオスは私の大好きな国の一つです。

(フィリピンが似ているのでは?という投稿)
実は私、フィリピンが大好きなんです。それまで海外(に渡航すること)は余り興味がなかったのですけど。関わりができてから約3年、渡比回数もまだ5回ほどなのですけれど、フィリピンに流れる時間とか、空気とか、もちろん人も好きなのです。そんな私が感じたことは『パラグアイとフィリピンは似ているかも知れない』でした。地理的にはぜんぜん違う国なんですけれど。(地理的な理由でサイトではラオスを挙げてらっしゃいましたね)ナショナルチームの面々の顔を見た時、不思議な親しみを覚えたんです。スペインの血ゆえだったのだろうなと今では判るのですが、親しみを感じたその時点ではまだ、私はパラグアイが以前どこの国に統治されていたのかを知らなかったので『不思議』に思えたようです。片やマレー系混じりですから、実際に並べて見てみればきっと思ったほど似てはいないのかもしれませんが、少なくてもナショナルチームメンバーの顔は私にフィリピンを思い起こさせるものでした。その割にフィリピンにはスポーツとしてのサッカーが根付いてませんが(泣)。また、”まあ、何とかなるだろう” ”音楽大好き” ”運転が乱暴” ”道路は穴ぼこだらけ” なんていうところでも、「同じだ。。。」とつぶやいてしまった次第。タガログ語(パラグアイでのグアラニー語と同じような位置にある言語で、スペイン語に相応しているのが英語です)には「バハラナ(Bahala Na)」という言葉があります。フィリピンと関わりのある日本人は、フィリピン人気質の一つについてよく「バハラナ精神」なんて表現していますが、日本訳で「なるようになるさ」、ローカルの決まり文句の一つです。(便利は便利ですが、無責任に連発されるとキレそうになります(笑))そして、歌いながら仕事している場面もよく見かけます。ホテルスタッフの中には、立派な”歌”を歌っていたりする人も。ある時電話にて、話の途中にいきなり歌い出された時には、「エヘヘ」と笑って聴いているしかなく、内心どうしようかと焦りました(笑)。あと、下層階級は別にしてフィリピンの普通の家庭の多くはカラオケを所有しているんです。(テレビや冷蔵庫を持っていなくてもカラオケはある(笑)。)とまあ、似ていると感じた点を思いつくままに羅列してしまいましたが、そんな親しみも手伝ってか、今無性に『パラグアイの空気の中に立ってみたい。』と思い始めています。土地を歩いてみたらきっと色々なことを感じられるでしょうね。「フィリピンと思ったほどには似ていないな」とか(笑)。ぜひ歩いてみたい・・・・。

確かにフィリピンは似ているのかも知れませんね。南米にアジア的な要素を持っているパラグアイ、メルカード4等を歩いていると確かにフィリピンに似ている。なるほどタガログとグアラニ・・これも立場が似ていますね。


パラグアイから見た世界 (2002年03月25日)
パラグアイ、特にアスンシオンから見た世界は円で描くと6つの世界に区分出来るように思えるのです。以下持論を説明しましょう。まず、中心に在る第一の円は勿論パラグアイ自身、それを取り巻く第二番目の円にはアルゼンチンとブラジルの両国が在り、この両国が自分達の直ぐ側の国という訳で、橋ないしは陸路で直ぐに行き来出来る国、そしてこの両国の政治経済に大きく影響を受けるパラグアイ、非常に関心を持って眺めていいます。

そしてそれを取り巻く第三番目の円にはボリビア、チリ、ウルグアイが挙げられ、これらの国々は少し近く、陸路で行く事が出来、バスなども直行便が在り、生活上でも関連している国という印象がある国々です。この中でボリビアは地理的には、隣国なのですが、ブラジル、アルゼンチンと比較するとずっと遠方に在る国というイメージで、この3つの国の中でも一番印象が薄い感じがします。ここまでがメルコスール加盟国並びに準加盟国という事になります。

そして4番目の円は他のラテンアメリカ諸国となります。ペルーもメキシコもこの中に入るのですが、日本から見ているとペルーとパラグアイは同じ南米で近いというイメージがあるかも知れませんが、パラグアイから見るとこのような感じに見えるのです。これらの国は文化的には確かにラテンとして同一の地域ではあるのでしょうが、実際に陸路で行くとなりますと通す過ぎ、飛行機で数時間掛けて行く国々という訳です。アスンシオン-リマの距離は東京-マニラと同じくらいであり、陸路で行くとすると険しいアンデスを越えて行かなければならず、同じラテンではあるが、遥かかなたの国というのが実感でしょう。この第四の円までほとんど全てがスペイン語で行けるというのはパラグアイ人のメンタリティーを理解する上で重要だと思います。

外側から二番目第五の円には北米の米国とカナダ、そして西欧諸国があります。同じ米州大陸で米国とパラグアイは近いと考えられているようですが、東京からロス・アンジェルスの方がロス・アンジェルス-アスンシオンより近いのです。日本から欧米を感じる距離感とほとんど同じであるように思います。またパラグアイから北米と西欧特にイベリア半島までの実際上の距離もほとんど同じなのです。ここに行って始めて外国語が必要になるという訳ですが、実際には西欧の入り口に在るイベリア半島、そして米国の入り口となるマイアミ、ロス・アンジェルス、ニューヨーク等はスペイン語が出来れば全く不自由しないという事も考慮に入れて置かなければなりません。

そして一番外側にある第六の円にはその他の国々、アジア、アフリカ、東欧、ロシア、オセアニア等が入ります。この地域は普段の生活にはほとんど関係が無く、人々の考慮の外であり、遠い国、縁が余り無い国というイメージで捕らえられているように感じます。飛行機で一日くらいかかる国々です。

このような世界観を持ってパラグアイ人は生きてとしますと、世界のほとんどはスペイン語が通じ、キリスト教徒の世界であるように感じていると思います。第五の世界でも飛行機で半日は必要で、それよりも外の第六世界は普段は意識の外にある事でしょう。

パラグアイ人の夢 (2002年04月08日)
ある方からパラグアイ人の抱く夢は何かと尋ねられました。パラグアイ人と言いましてもそれぞれ個々の置かれている立場 は千差万別で、人それぞれでしょう。日本人の場合はどうかと考えますと当然個人によってその答えは異な るとは思いますが、一番紋切り型の答えは「良い大学を出て良い会社に入り、伴侶を見つけて暮らす。」とい うものでしょうか。パラグアイ人に関して同様の非常にアバウトな答えは「起業して経営者となり、外国に別荘 を幾つか持ち、優雅に暮らす」という感じでしょうか?日本人と異なるのは雇用者になるのを余り望まない 事にあると思います。

「働く」事に意義があるという日本人的な考えにも余り理解してもらえないのではないかと思います。例え ばサッカー選手の場合、日本人サッカー選手の夢は「プロで活躍し、日本代表になること・・」と考えることで しょう。サッカー選手として「活躍する」ことを夢として持ち、金銭的な事は後から付いて来ると考えるの ではないでしょうか?これに対してパラグアイ人のサッカー選手の場合にはあくまでサッカーは金持ちになる為の手段であると考えるように思います。お金を稼ぐ為にサッカー選手になる、有名になり、代表となれば稼ぎも増える・・と考えるのではないかと思います。

ごく普通の人はそれほど大きな夢は抱いていないのかも知れません。日本のように平等な社会がかなり実現 されており、例えば公務員試験に合格すると誰でも政府高官を目指せるという社会とはかなり様子が異なり ます。サラリーマンになる事がよしとされてはいないので、大学に行く目的もかなり異なるように思います。 学ぶ姿勢を見ていますと、かなり具体的で実利を重んじるように見えます。現在している仕事に役に立つ、資格が取れる、技術が身に 付く、それぞれ確固たる理由を持って学んでいるように思います。このような人々の描いている夢も意外に素朴で 現実的な気がします。

大多数の人にとっては大学も立身出世も関係が無い、安楽太平に毎日が過ごせれば良いと考えているように 見えます。ただ昨今の情報化時代、地方にまで都会の消費生活の快楽さが伝わっています。発展途上国はど こでもそうでしょうが、農村部から豊かな都市に多くの人が移動しています。彼らの夢は都市部に住んでい る上層階級でしょう。都市で生まれ育った人々はそこまでのプロセス、困難さをある程度想像、理解する事が出来 るでしょうが、田舎から出て来た人ばかりの人にとってはその過程をイメージする事はまず無理であり、単に幸運だけが自分と彼らの差と考える事でしょう。治安の悪化はこの辺の認識の違いに拠る面が大きいよう に感じます。

観光パラグアイ (2003年05月03日)
ある方に「パラグアイで観光はどうですか?」と尋ねられた事があります。個人的には観光産業はこれからは大いに有望だと思っています。ガイドブック等で「パラグアイは何も無いのでのんびり過ごしましょう」とありますが、それもひとつですが、本当に何も無いのでしょうか?これも製品と同じようにニッチ市場を目指せば可能性は大きいと思います。

外国人観光客と言いましても大別して二つに分けられるでしょう。一つはアルゼンチン、チリ、ブラジル等近隣諸国からの観光客そして欧米、日本・韓国等の北半球先進国からの観光客です。数年前までは近隣諸国からの観光客はかなり多く、長期休暇の時期には大型バスで多くの人がやって来ていました。近隣諸国からですと身分証明書だけでパスポートは不要で、気軽に旅行する事が可能であり言葉も同じで国内旅行の延長気分で旅行していると思われます。そしてその際の主な目的は買物でした。ブラジルからは大型バスが何台も連なってエステ市に入っていました。ブラジル国内と比較し魅力的な商品がずっと安く手に入るというので人気がありました。時代は変わり現在は経済のグローバル化が進行してブラジルにも世界から最新の製品が流入しており、商品の価格、品質の差は次第に少なくなり、専門の担ぎ屋さんを別として一般の観光客が買物を目的にパラグアイに来るケースは激減してしまいました。この為にエステ市は街の存続も危ぶまれる状況に追い込まれてしまいました。

先進国からの観光客は個人を別としますと、欧米からのエコツアー等が来るくらいです。具体的には英国・フランス等からチャコ地方のまだ手付かずにそのまま残っている自然を見に来るというものです。コンセプシオン等に数泊して雄大な自然を堪能するというものです。パラグアイ河の上流ボリビアとブラジルの国境付近はパンタナルの一部になっており、交通の便は余り無く行くのは大変でしょうが、そこまで辿り着けば大陸の雄大な自然があるのでしょう。ただ大陸の中央に在るパラグアイ、隣国アルゼンチン、ブラジルにも同じような景色がもっと大きく存在しており、ボリビア・ペルーにはアンデスの美しい山が在り、近隣諸国に対しては比較優位にはなりえません。最近はブラジルからドラード等を目的に釣り客が増えていますが、これも資源に限界があり、これ以上の大きな展開にはなり得ないと思っています。

いわゆる観光地として世界の人に見ていただけるものはかなり限られているのは事実です。ミッションとして有名なイエズス会の町の廃墟がトリニダー等数箇所あり、これは世界遺産にも指定されており、一見の価値はあると思います。しかしながらこれもパラグアイだけというわけでは無く、ブラジル、アルゼンチンの広い範囲に遺跡が残っています。その他に見て興味をひく場所というはほとんどありません。このような理由で余り観光には適していないとして日本からのツアーも無いのが実情です。

それでは何を見に来てもらえるかと言いますと、個人的にはパラグアイそのものだと思っています。レトロで牧歌的、他のラテン諸国とはまた違った雰囲気を味わってもらうのが良いと思っています。エコツアーを始め既成のパターンではどこも比較競争力が乏しくパラグアイに勝てる見込みは無いと思います、それであれば「パラグアイ」らしさを前面に出して行くことで活路を見出すのが上策だと思います。アスンシオン市は買物以外の観光で訪問する人は非常に少なく市内観光バスなどというものもありません。しかし街をあるくだけで初めて来たけれど懐かしいという雰囲気があります。またそこで生活している人を眺めるだけで楽しいものがあります。中内渚さんが街の様子を描いていますが、このような視点で街を歩くのは楽しいと思います。またアスンシオン近郊一日体験ツアーというのはどうでしょうか?アスンシオンでアルパ製作の工房を見学、ルケで金細工を見、アレグアで陶器、サンベルナルディーノで昼食を食べ、カアクペでパラグアイの信仰の中心である寺院を見物しその門前町の土産店を覗き、ピリベブイを経由してイタグアでニャンドゥティの店に立ち寄りアスンシオンに戻るというものです。途中でイタで日本の城を見物するのも良いでしょう。

アスンシオン以外では南部のイタプア県、日本、ドイツ、ウクライナ等の移住者がモザイクのように住んでいるイタプアなども訪問するだけで面白いと思います。ドイツ系のホテルで欧州を味わい、自動車で10分で日本の農協へ、そこからロシア正教の教会を訪問する・・このような事を作られたテーマパークでは無く本物が体験出来るというのは魅力だと思います。

そして北部パラグアイには雄大な景観とレトロな世界が広がっています。道路事情も悪く、バス等の公共交通も十分ではないので、旅行するのには苦労されるでしょうが、それだけの価値はあると思っています。北部を一周している時に頭に浮かぶのは「ここはどこ?今は何時?」という事です。世界の色々な場所を旅行していますが、北部を旅行しますと少なからずカルチャー・ショックを感じます。

アマンバイ県は奇岩が並び、そして3国戦争最後の激戦地となり、マリスカル・ロペスが戦死したセロ・コラ国立公園があります。ペドロ・ファン・カバジェロはブラジル側のポンタ・ポラ市と一体になっており、中心の通りが国境という非常に特殊な街です。国境に慣れていない日本人には奇異な感じがあります。コンセプシオン県は北部パラグアイの中心都市であるコンセプシオン市があります。ここでは牛馬がまだまだ中心であり、舗装道路もほとんど無く、渾然とした市場を見ていますと時間が経つのを忘れてしまいます。またサン・ペドロ県は実に多様性に富んだ県です。国内の人の中ですら「貧しくて何も無い場所」と思っている人が多いようですが、昔ながらの生活をしている地元の人、そしてドイツ系の人達はドイツ語ともオランダ語とも異なる「フリースランド語」なる言語を使って生活しています。宗教上の理由で自動車・テレビ等の機械を拒み、100年前のような生活をしている方達も居ます。このような場所に実際に足を踏み入れますと「本当にこれは現代なのか?そして南米なのか?」と頭が混乱してしまいます。

そして日系に関しては移住地の活用があると思います。ブラジルのホテルでは長期滞在者の為に日帰りツアーを用意しているケースがよくあります。イグアスの滝見物にフォス市(ブラジル)を訪問した観光客を相手にミニ日本体験ツアーというのは如何でしょうか?一日日帰りイグアス移住地観光というもので、イグアス移住地の日本らしさを見物してもらい、レストランで和牛のすき焼きを食べるというようなものです。特に新たな準備をしなくても今のままで十分に日本的ですので、ありのままを見物してもらうという嗜好です。

ただ前提条件としてインフラ整備が必要であると思いますが、それ以前の問題として空港で外国から訪問した人が気持ち良く出来るようにする事が肝要であると思います。税関はたかりの精神を捨て、ハイエナのように群がる荷物運びの連中を排除する事が必要でしょう。初めての国を訪問する時に誰もが不安を抱えるものです。観光局の職員が到着客の案内・世話をするぐらいの姿勢があれば良いでしょう。飛行機が到着してホテルに着くまで快適であればそれだけで国の印象が良くなり、リピターも増えるでしょう。一つのアイデアとして空港に馬車を並べホテルまでタクシーとして利用してもらうというのはどうでしょうか?時間は多分1時間以上はかかるでしょうが、タクシーと同じ料金であれば観光客は喜んで利用すると思います。ちょっとした工夫、アイデアを積み重ねれば魅力溢れる観光地に変身すると思います。

そして法律の整備も大切でしょう。例えば現在日本からですと90日間の観光は査証が要りませんが、留学や長期滞在の査証に関する法令の整備が不十分であると思います。一年そして4~5年の滞在査証を発行すれば長期滞在者やスペイン語等を勉強に来る方にもっと来ていただけるように思います。アルバイトが出来る、就労が可能な短期査証というようなシステムがあれば若者を惹きつける事が出来るのかも知れません。コスタリカのシルバー向けの政策などが参考になると思いますが如何でしょうか?

パラグアイの男女関係(2003年05月31日)
ある隣国出身の日系の友人と話をしておりましたところ、「ラテンアメリカの中でもパラグアイは特に男性社会だ」と言うのです。どういうことなのか訊いてみますと「まず未婚の母が多い、男が強いから”孕ませて逃げる”等と言う身勝手な行動が取れ、未婚の母が増えるのさ」という説明です。確かにパラグアイは未婚の母が多く、またそのような人を全く特別視しない風潮があります。そして「エレベーターに乗る時、チリでもブラジルでも近隣諸国であれば、女性を先に乗せるし、下ろすでしょう、パラグアイは全くそのような事は無い」と言うのです。確かにブラジル等では「レディー・ファースト」が徹底しており、女性よりも先に乗ろうものならおばちゃんに睨まれるのは間違いないでしょう。このようなマナーが出来ていないのは南米の田舎者のせいなのかも知れませんが、しかしもしかしたらそれだけでは無いのかも知れません。

アスンシオンで街角にあるお店などを覗いてみますと女性が働いて男性はテレレを飲んでいてサボっているという光景もよく目にします。どうやら女性が働いていて男性はのんびりとしていることには余り抵抗感は無いようです。勉強の面でもどうも同じような傾向があるようで学生、高校生などを見ていましてもさぼって余り勉強しない男性を尻目に頑張る女性が多いように見えます。日系社会も例外ではないようで女性の進学率の方が高いように見えます。これは歴史の影響もあるのかも知れません。130年ほど前の3国戦争で壊滅的な打撃を受け、男性の数が極端に少なくなり、数十年にわたり男性は希少価値である時代が続き、その影響が未だに残っているのかも知れません。一度染み付いた習慣というのはなかなか取れないのでしょう。

その割には他の国のような「殿方の遊び場」というような場所がありません。日本ですと例えば「新宿歌舞伎町」は一大歓楽街、当方などはこの街を歩いていますと、紫やピンクの妖しい光につい惑わされてしまいそうになります。ブラジルの中心都市、リオ、サンパウロにも内容は異なりますが、同じような商売をしているお店が大きな顔で営業をしており、歓楽街を形成しています。これに対してアスンシオンではそのようなお店はまず目にしません。一部に目立つ事無く存在しているのでしょうが、少なくとも歓楽街のような場所は全くありません。外出する場所としては家族もしくはカップルで食事を楽しむような場所で殿方だけでニヤニヤと・・というような光景は全く目にしません。これは本当のところは頑張っている女性が強いからなのかも知れないと思っています。表立って男どもだけで楽しみに行く様な雰囲気ではないのでしょう。

パラグアイのカタカナ表記(2003年05月13日)
パラグアイをカタカナ表記する時には当方は常に「パラグアイ」と表記しています。文字からも音を聞いてもこれが自然に思うのです。カタカナ表記にはこれ以外にも色々とあり、「パラグァイ」と途中を促音にするもの、そして「パラグワイ」更には「パラガイ」という表記も見た事があります。「パラグァイ」は官庁関係に多く見られます。「パラグワイ」というのも時々見ます。アスンシオン日本人会の会議室に綺麗な蝶の額がありますが、そこには「パラグワイ」とあります。耳で聞いていますと確かにこれの方が近いのかも知れませんね。外国の音を日本語にするというのはなかなか難しい問題があるように思います。途中のAの文字を特に短く発音するというルールがある訳では無いと思うので「パラグアイ」と書いています。

隣の中国では文字が漢字なので更にやっかいなようです。音で聞いてそれなりの漢字を当てる方法を用いているようですが、パラグアイは「巴拉圭」と書くようです。「パラグェ」というような発音になるのでしょう、まずまず感じが出ていると思います。アスンシオンは「亜松森」と書くようです。大体音の感じから漢字を当てているのですが、エステ市は意味の通りで「東方市」となります。隣のブラジルは「巴西」と書くのだそうです。これで「パーシー」というような音になるのですが、どうしてこのように書かれているのか未だに不思議に思っています。

パラグアイの使用言語(2004年07月12日)
パラグアイの使用言語。最初は掲示板での次の書き込みから始まりました。

(掲示板への書き込み):こんにちは。私は大学三年生の女子です。今ゼミでパラグアイの言語使用について調べています。幸運にも偶然このサイトを見つけて、ぜひ協力して頂けないかと書き込んだ次第です。まず質問なのですが、パラグアイでは新聞や雑誌、テレビのニュースなどにはスペイン語とグアラニーとどちらが使われているのですか?政治の場ではどちらですか?また、ここで使われているスペイン語は本国スペインでも通じる様なものなのですか?訛りなどはきつくないですか? 質問ばかりですいません。たくさん資料を探したのですがどこにも載っていなくて、グズグズしてる間にゼミの発表が来週になってしまいました。本当に申し訳御座いませんが早めに回答をお願いします。

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家内はパラグアイ人で、十年程前から上智大学のコミュニティカレッジでスペイン語を教えています。教科書はスペインのものを使っておりますが、授業で  時折「この表現は南米(南部)ではしません」というような解説をすることはある  らしい。まさにアメリカ英語とイギリス英語の違いのようなもので「通じない」と  いうことはありません。むしろ人口の比で大きい、南米のスペイン語の方が  マジョリティー(主流派)になっており、今後「スペイン語標準語」というものが出来るとしたら、より南米・中米寄りのものになっていく、のではないでしょうか。余談ですが、自動車の「ジャガー」はグアラニー語です。英語読みでは「ジャ  グワ」に近いですが、グアラニーでは「ジャワ」に近いような響きです。あと「チェ・ゲバラ」の「チェ」もグアラニで、「あんた(親しみを込めた)」みたいな意味です。

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パラグアイ大統領府企画庁統計局のウェブで2002年の国政調査結果が公表されています。それによれば、家庭での使用言語は、スペイン語35.7%、グアラニ語59.2%、そのほか5.1%とのことです。また、都市部ではスペイン語54.7%、グアラニ語42.9%とスペイン語をメイン言語とする家庭が多いのに対し、地方部ではスペイン語8.4%、グアラニ語82.7%と圧倒的にグアラニ語がメインであるようです。ただし、政治の場、職場等、公共の場ではほとんどスペイン語が使用されていると思って間違いないの  ではと思います。私がパラグアイの地方に行った印象では、ブラジルに近い東部では、ブラジルから移民した方が多いせいか、ポルトガル語をメイン言語としていらっしゃるご家族が多いと思いました。パラグアイのスペイン語はスペイン本国でも十分通じると思いますが、語尾の”s”が欠落する特徴があります。たとえば、”estamos”という単語はカタカナで発音表記すると「エスタモ」というように発音される方が多いようです。この傾向はウルグアイ、アルゼンチンの一部でもあるように思います。

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パラグアイに4年弱いましたが、田舎の生活しか知りません。その上での情報提供です。田舎では老人はグァラニー語しか話せない人が多いです。ホームステイ先の人たちやそのお友達(大体40歳くらい)の人達は私と一緒の時はスペイン語を話していますが、話がノッてくるとだんだんとグァラニー語へと移行していきます。まぁ、日系人と話す時はスペイン語を使うけれども、パラグアイ人同士で話す時はグァラニー語の方が気楽なようです(特に男性)。グァラニー語は必須科目で、大学受験にも必要なようです。国歌もグァラニー語バージョンがあって、学校で習うようです。TVはあまり見たことがありませんが、スペイン語のものが多いです。ドラマなんかはメキシコやスペインなどの番組がほとんどなので、スペイン語です。パラグアイのニュース番組もスペイン語です。ただ、バラエティで、音声はスペイン語で、字幕がグァラニー語の番組(もしかしたら逆かもしれない)を見たことがあります。新聞はスペイン語ですが、日本の新聞の4コマ漫画のように、グァラニー語ジョークが一面のはじっこに載ってました。スペイン語もグァラニー語も公用語ですが、国会などでは、スペイン語が使われます。ただし、政治演説をスペイン語とグァラニー語の両方ができないと、選挙で勝てないという話も聞いたことがあります。TVのニュースでワスモッシ大統領がグァラニー語で話しているのを見たことがあります。公的書類は全てスペイン語です。訛りはあります。結構、他の国の人から指摘されます。ただ、私は田舎のパラグアイ訛りしか知りませんので、都会のパラグアイ訛りはよくわかりません。ただ、単語の最後が「s」だった場合、この「s」が発音されないとか、単語の最初が「s」で、次に子音が来る場合、「s」の前に「e」がついたりします。かつて、独裁政権をしいていたストロエスネル大統領のことを「エストロエスネル」と発音してたりするわけです。挨拶とか「なんてぇっこった!」とかは、グァラニー語を使うことが多いですね。まぁ、田舎では、私的な会話はグァラニー語を好む様です。ただし、アスンシオンなんかでは、生活の中でグァラニー語を聞くことはほとんどないそうです。今、思いつくまま、脈絡なしに書いてきましたが、パラグアイの田舎はどこもそんなもんじゃないかと思います。

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うちも家内がパラグアイ人なのですが、グアラニ語を結構使いますよ。家内の家族はアスンシオンやサンロレンソなどに住んでいますが、夫婦間、近所の人などとはグアラニ語で世間話をよくしているようでした。(子供達にはスペイン語で話していたようですが。)もともと田舎に住んでいたからかもしれません。金沢にいる他のパラグアイ人も、地方出身者が多いせい(コンセプシオンなど)か、結構グアラニ語で話しています。グアラニ語がわからない私はそんなとき大変困ります。パラグアイのスペイン語でびっくりしたのは、グアラニ語の接辞が時々使われることです。ときどき、「何?」をQuepa?とかQuepiko!とかいいます。(疑問文に出る-paとか-pikoが付く。)また、「来てよ、お願い」をVeninaと言ったりします。(これもグアラニ語の接辞-naが付いている。)しかしこれはスペイン語ではなく、グアラニ語の会話に、スペイン語の単語を交ぜているだけなのかも知れません。アスンシオンではあまり聞かれないのかも知れませんが、うちの家内の家族は結構こんなスペイン語を話しています。(しかし、家内は私が日本人にこんな話をすると嫌な顔をします。別に悪口で言っているわけではないのですが、そう聞こえるのでしょうね。) 

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高尚な話ではありませんが。私の学校の運転手さんやマンションの門番と毎日顔を合わせます。こちらはスペイン語が分からなくて四苦八苦しているのに、すぐにグアラニー語では-----だよ!と説明を始めます。ちなみに門番はアスンシオンからバスで6時間かかる田舎から単身赴任?1ケ月に1度帰って行きます。運転手さんはアスンシオンの河辺の出身です。一生懸命教えてくれようとする気持ちには感謝しています。

上記のコメントで国政調査の結果で家庭の常用語に関してスペイン語が36.7%というのには正直驚きました。アスンシオンで生活している限りではほとんど全てがスペイン語という感じです。色々な人が集まる大きなスーパーに行きましたが、ここでもスペイン語しか聞こえて来ませんでした。ここでは中級のごく普通の家庭が集まる場所ですが常用語はスペイン語のようです。テレビでサッカーのダイジェスト番組を見ていますと選手の多くは田舎の出身でしょうが、インタビューは全てスペイン語です。

会社では当方が日本語、社員の中にはドイツ語やフランス語を話すのが居て両方の言語も聞えて来ます。またブラジル人の客も多くエステの支店関係ではポルトガル語が当たり前に使われています。また常用語が英語、中国語、韓国語の客も居ます。最近ではフリースランド語を常用語としている顧客が増えています。考えてみますとかなり国際的な状況になっていますが、顧客でグアラニ語を中心に話すという方はほとんど見掛けません。ここで仕事をしている限りではグアラニ語を学ぶよりは上記の言語を学ぶ方が良い(仕事上)と思ってしまいます。

パラグアイの牛肉(2005年12月05日)
パラグアイは農畜産の国、畜産の中では牛肉が重要な存在になっています。パラグアイの食の中で牛肉の占める割合は非常に高く、牛肉の生産は主に国内消費向けに生産されて来ました。移住して来た当時、肉は硬く、余り美味しいものとは言えませんでしたが、改良が進み今では柔らかい味の良いものが簡単に手に入ります。病気、品質管理の問題があり、肉のままでは日本に輸出出来無いのですが、チリには大量に輸出されているそうです。以前チリにお住まいであった方に尋ねるとスーパーでパラグアイの牛肉は「高級品」として人気を集めていたという事です。確かに一定の基準は満たしているのでしょう。





パラグアイからの食肉の輸出量は確実に増加しています。輸出先を見ますと2004年にロシアが突然首位になっています。それまではベスト5にも入っておらずロシア向けが急に増加したことが分かります。反面、品質に厳しい日本や欧州向けは非常に少ない事が分かります。


牛肉に詳しい方に日本に大量に輸出しているオーストラリアとパラグアイの牛肉生産に関して比較していただきました。

1生産上の特徴
(1) 輸出志向であること。つまり国家の主要産業であり、国の管理基準レベルが非常に高いこと。
(2) 地域によって特性があり、北部ではグラスフェッドの牛(いわゆる草を食べる牛)南部ではグレインフェッド(穀物を食べる牛)の飼育が盛んです。この背景には、地域で取れる飼料作物の問題もからんでいます。グレインフェッドは、脂がのりやすいため、日本人、韓国人の感覚にあう味です。昔は、豪州国内向けではグラス主流だったのですが、最近ではグレインフェッドに人気があるようです。グレインフェッドは日本向け、グラスフェッドは米国向けひき肉と、大きく市場が分かれています。
(3) グラスフェッドでは熱帯系(いわゆるコブ牛)と欧州系の肉用系の混血を用いているようですが、グレインフェッドでは、アンガス系など肉用種の血統が主流となっています。
(4) 牛を含む家畜伝染病の防疫に対し、地理的に優れていること
一方、パラグアイの牛肉産業の詳細はわかりませんが、あくまで牧場等を見学した範囲の知識として、
(1) 国内消費志向が強いこと
(2) 輸出志向が弱いことから、牛の血統管理、衛生管理、品質管理、規格基準等の国家基準がほとんど無いに等しいらしい。
(3) グラスフェッドがほとんどであるため、血統管理がほとんどできていない。そのため、品種改良や血統維持、等の管理ができていない模様。これはひいては品質の不均一につながります。
(4) 輸出志向が弱いことから、農家の牛群管理能力、個体識別登録制度などの基盤が不十分。

この違いの背景には、パラグアイの気候が、欧州系の肉用種専用牛を育てるには不向きであることが関係しています。暑すぎるのです。そのため、暑さに強い熱帯系牛(いわゆるコブ牛)が主力となり、グラスフェッド中心の牛肉生産にならざる得ない状況があります。コブ牛に、穀物を食べさせても、いわゆるサシ(筋肉内の脂肪)がほとんど入らないことから、グレインフェッドで育てても経済性(商品価値)をあげることができないのです。サシがあるほうが、口当たりが良いことから、一般的には、やわらかくおいしいといわれています。またパラグアイでも和牛を生産しておりますが、純血和牛は暑さに耐えられないこと(死亡率、増体重など)で非常に不利なため、コブ牛系の血統を何割かは入れないと、生産性が落ちるはずです。 ですから、”牛肉生産は同じ”と単純にはいいきれないのです。米国も牛肉生産は盛んですが、99.9%、いや100%はグレインフェッドであり、国内向けと輸出向けは、同じ生産方法がとられていますので、国内・輸出との間で、スイッチングが比較的簡単にできるといわれています。もちろん、輸出に向かない部位を米国内の市場で消費できるという利点もあります。豪州の場合は、国内市場が大きくないことから、どうしても輸出志向にならざるを得ないということもあります。この違いが、輸出方法にも影響し、米国から日本向けには、特定部位(牛丼向け、焼肉向けのバラ)だけという単品輸出ができるのですが、豪州からの場合は、日本向けには1頭のセット(全部の部位のセット)での輸出となります。

2:消費傾向
単純には言い切れませんが、レストラン等では、サーロイン、リブロールのステーキ、そして、ランプのステーキが多いようです。スーパーでは、肩(CLOD)の部分のステーキも売られています。パラグアイで多いアサードの部位であるバラ肉は、韓国向けに高い値段で売れること、脂身の多い肉をあまり食べない嗜好があるので,BBQPARTYなどでは盛んではないようです。

3:パラグアイ牛肉産業の課題と展望
今後、パラグアイ産牛肉の輸出を伸ばすためには、次のような点が重要と思われます。 
(1) 輸出用の規格基準、衛生管理の徹底。豪州のような厳しい国家管理基準が必要になってきます。
(2) グラスフェッドが中心であること、チルド(冷蔵)の輸送は船便の日数の関係から、アジア向けにはほとんど不可能。近隣諸国(ブラジル、アルゼンチン)の消費をターゲットにするべきかもしれません。
(3) 感染力の強い口蹄疫の完全防御は、実際上、ほとんど不可能でしょう。国境での密輸が多く、家畜衛生に関する知識が現場作業員に徹底していないこと、パラグアイ一国の問題ではないこともあります。
(4)であれば、加熱済みの商品に特化せざるを得ないのですが、加熱済みの商品となると、市場が狭くなります。いわゆる日本の缶詰コーンビーフなどの限られた市場しかないのが現状です。これも豪州産のモモ肉で、日本国内での加工した方が安上がりという状況でもあります。
(5)牛肉を入れたレトルトカレーなどの真空加熱調理をした商品の開発が比較的有望かもしれません。
(6) ブラジル、アルゼンチンなどへの子牛の生産基地、牧草肥育の委託生産基地というのが、実際上、一番、実施しやすい方策ではないかなあ。。と考えています。マキナの農業版ですが。。牛肉産業(他の畜産分野も含みますが)にとって、重要なことは、
(1)家畜衛生問題と国家レベルでの衛生管理基準
(2)国内市場と輸出可能部位の問題
(3)牛の生産方法(草OR穀物)、穀物肥育の場合の穀物の価格は?
(4)品質の安定性、供給体制の確立
(5)輸送方法と品質保持期間の問題
(6)為替問題

このような点が重要になるのではないかと思います。



パラグアイは南米の中心に位置する内陸国です。南米には12の独立国とフランスの海外県であるフランス領ギアナ(カイエンヌ)があります。これと南米12ヶ国の内旧ギニアのスリナム(元オランダ領)とガイアナ(元英国領)は文化圏も全く違うのでこの二つの国は除外して考えることとします。パラグアイの人は自分は南米の中央に位置していて南米の中心ひいいては世界の中心?に位置していると思っているのかも知れませんが、客観的に南米の中でどのような位置にあるのか考えてみます。

南米の中の地域の分け方にも色々あると思います。元ポルトガル領であるブラジルが半分を占め残りの国の内9ヶ国がスペイン語を使うので「ブラジルとその他」と分ける考え方です。また経済圏として南米共同市場(メルコスール)の存在がありますので「メルコスールとその他」と分ける見方もあると思います。実際にはブラジルを除くとアルゼンチン、ウルグアイ、パラグアイのラプラタ諸国、ペルー、ボリビアの旧ペルー副王領であったアンデス地域そして大コロンビアが分裂して出来たエクアドル、コロンビア、ベネズエラの3ヶ国、そしてチリに分けられると思います。チリはアンデス山脈と砂漠で周囲と隔絶されており、一国で一地域となっているように感じます。

ブラジルの見方は南米の大部分、主要な部分は自国であり、ブラジルは世界の中で米国、中国、ロシア等と並ぶ大国である。その縁にスペイン語圏の弱小国がへばりついている。アルゼンチン、ベネズエラ、コロンビアは自国の大きな州程度の存在、その他は小さい州程度の存在でパラグアイなどは独立国というのも恥ずかしいような存在と見ている事でしょう。サンパウロに住んでいた時にはパラグアイをまともなものとは見ていない人が多かったように感じます。「泥棒の国、密輸の国」「ブラジルのおまけ」「ブラジルの密林の向こうに在る得体の知れない未開の地」というようなネガティブな意見が大半でした。確かにブラジル全図を見ますとパラグアイは完全に入っていてブラジルの州程度の大きさです。とあるブラジル人が「外国に行った事はない」と言っているのを聞いて、昔の会話を思い出し「以前、君はパラグアイに行った」と言っていたではないかと反論しますと「あれは外国の内に入らない」との説明でした。要するにブラジル人にとっては外国とすら思っていない存在のようです。

アルゼンチンの人はパラグアイは自国内では発展が遅れている北の地域の更に向こうにあるまだ野蛮さが残る国というイメージでしょう。パラグアイからブエノスアイレスに多くの方が出稼ぎに行っていますが、多くは女中、レストランのボーイ等の単純労働、3K産業です。アルゼンチン人の考えるパラグアイ人像はこのような人達から出来ているので、貧乏で教育の無い連中という印象もあるでしょう。南米ので唯一の先進国である栄光あるアルゼンチンの北に位置する野蛮国くらいの感じでしょう。こちらの方も余りまともなものとは思っていない事は間違いないと思います。ボリビアではまだチャコ戦争のイメージが抜けきれないと思います。良い印象は無く近所付き合いもお断りというのは本音でしょう。その他の南米諸国にとっては存在は知っているという程度で、意識するのはサッカーの時に対戦し意外に強くワールドカップの席を取られてしまう国くらいの印象でしょう。

これに対してパラグアイの人は自国が南米で太陽のような位置にあり、中央で輝いている、それを取り囲むようにアルゼンチン、ブラジルなどの他の南米諸国が在る・・というようなイメージでしょう。中央にあるので何事パラグアイ抜きでは南米は語れないと自負していると思いますが、周辺国の意識とかなりのギャップがあるように思います。確かに数字で見ますとパラグアイは人口で1.6%、面積でも2.3%を占めるに過ぎないのですね。経済力で考えますと更に比重は下がります。

表:南米各国の人口と面積:黄色はメルコスール

国名人口面積
ブラジル176,029,56049.70%8,511,96547.72%
コロンビア42,708,22712.06%1,138,9106.39%
アルゼンチン36,260,13010.24%2,791,81015.65%
ペルー26,949,6397.61%1,285,2207.21%
ヴェネズエラ24,287,6706.86%916,4455.14%
チリ15,498,9304.38%756,9504.24%
エクアドル13,447,4943.80%283,5601.59%
ボリビア8,445,1342.38%1,098,5816.16%
パラグアイ5,884,4911.66%406,7502.28%
ウルグアイ3,386,5750.96%176,2200.99%
ガイアナ698,2090.20%214,9701.21%
スリナム436,4940.12%163,9700.92%
フランス領ギアナ182,3330.05%91,0000.51%
合計354,214,88617,836,351


さて、メルコスールですが、パラグアイ国内では当初よりメリットが無いと反対する意見が多くあります。元々ブラジルとアルゼンチンの南米2大国の協力という側面があり、その両国に経済が依存している2つの小国を加えて成立したというのが実態に近いと思います。ブラジル、アルゼンチンとしては「一国として入れてやったんだから黙ってついて来い」という気持ちが強いのでしょうが、パラグアイの民間人の立場としてはメリットの無いものには追随出来ないという不満が強くなっています。

ベネズエラやボリビアが加盟する動きがあり、「それならパラグアイは抜けてもいいや」という気持ちが出ているように感じます。特にブラジルには位置的にその気持ちが強いように見えます。メルコスールはなかなか機能しない面がありますが、ブラジルが真に大国としての役割を果たせるのか、正念場を迎えているように思えます。

出稼ぎとパラグアイ(2006年 6月05日)
パラグアイには農業と農産加工以外の産業は余り無く、常に高い失業率になっています。表面に出ている数字以上に農業地域で過剰な人を抱えており、潜在的な失業率はかなり高いように感じます。人口増加率で計算しますと毎年パラグアイの人口は15万人づつの自然増があり、人口特に若年層の人口が増えています。これらの若年層の働き場所としては外国への出稼ぎが挙げられます。元々パラグアイからはアルゼンチンへの出稼ぎは多くブエノスアイレスのレストランのボーイ、女中等、3Kの仕事に従事する人がいました。その稼ぎはパラグアイにとり大きな収入でした。

日本人・日系人でも出稼ぎブームが起き多くの若者が日本に向かいましたが、「出稼ぎなのか、それとも引き上げ・再移住」なのか分からない点もあります。ともかく多くの青年が日本で働いています。一般のパラグアイ人は稼ぎの少ないアルゼンチンから米国、特にフロリダに目を向け、フロリダには一万規模のパラグアイ・コミュニティーがあるようです。しかしながら、米国への入国は次第に難しくなって来ており、新たな出稼ぎの先として欧州、特にスペインが注目されています。労働査証を取得するのは難しいのでしょうが、観光客としては入国は比較的楽に出来るようで多くの人がスペインを目指しています。親戚・友人が居るとそのつてを頼って行くのでしょう。言葉の問題も無いので米国よりも楽に生活が出来るのが魅力と言えます。既に5万人の人が欧州に出稼ぎに行っていると聞きます、これは全人口の約1%に当たります。

今でも毎日パスポート申請には長い行列が出来ています。列は建物を出て外まで長く続いています。数時間待つのは普通という状況になっており、出稼ぎ以外の目的で旅行する人達にも大きな影響が出ています。査証がどうなっているのかはよく分かりませんが、何か技能を持っている人、電機修理、水道修理、大工、左官などは大挙して行っているようで、熟練技術者が不足していると聞きます。ただ若年層が多いので補充は出来ているようで、社会的な問題にはなっていません。累計で5万人は大きな数字に見えますが、毎年人口が15万人程度は増加しているので大した影響は無いのでしょう、むしろ送金の形で多額の外貨が流入している影響が顕著になっています。為替に大きく影響し、グアラニが珍しくドルに対して大幅に切り上がっています。物価自体は上昇しており、ドル建ての物価は急上昇していると言えます。

上層階級の頭脳流出は今までもありましたが、大量に普通の人が欧州に行くというのは初めての事です。若年層が流出して問題ではありますが、当地に居ても中間層の方達なので、欧州で働き、欧州的な仕事の進め方を身をもって体験するのは悪い事では無いと思っています。一部はそのまま残る事になるのでしょうが、多くの人は将来当地に戻って来ます。外の社会に関して余り関心がなかったパラグアイ人ですが、この人達が戻ってくれば大きく変化するのではないかと期待もしています。ただ知的な仕事に携わる訳では無いので知識技能を身に付けて来る事は余り期待出来ないと考えています。

世界は大移動の時代に突入しているように見えます。これは長い時間を掛けて世界中に人類が広がりましたが、各地での差異特に経済的な格差が大きくなっているように原因があるように感じます。また地域により白人種、黄色人種、黒人種・・見て違いがはっきりと判る程になっています。主に経済的な理由で人々が動いていますが、これは亜種を作らないという世界の人種をダイナミックに混ぜる為の人類全体の知恵なのかとも思っています。最初に混ぜられて来たのがこのアメリカ大陸でしょう、そこから大量の人が欧州に流れている。欧州で人種の攪拌が始まっていると考えています。

パラグアイの外交(2006年 8月28日)
パラグアイにも当然の事ながら外務省があり、独立国家としての外交政策があります。パラグアイの外交政策の基本的な考え方は「時流に乗り、逆らわない」という事のように思います。独立した当初は独自の発展を遂げ南米の雄としてナポレオンのような帝国を目指していました。野望を持つ指導者の元、帝国拡大の為の戦争を起こし、その結果は惨憺たるものでした。戦争には総動員体制で臨み、男性国民の多くは死亡し国家は疲弊してしまいました。ブラジルの軍隊が首都アスンシオンを占領し戦争は終結、国土は半分に削られ、国民の数も激減しました。ここからパラグアイが学んだ事は流れに乗る、両大国との関係を重視して行くというものです。以来アルゼンチンとブラジルの両大国との外交がほとんど全てであり、両国の隙間を縫って生きて行くというのが基本戦略となりました。欧米も日本もその向こうに在る国、伯亜両国のその大きな存在が存在が全てでした。強い方に付く、利益がある方に味方する、経済もその隙を巧みに利用して行くというものでした。

大きな転機はメルコスールの発足です。メルコスールは当初は四カ国でスタートしましたが、基本的にはブラジルとアルゼンチンの同盟です。地理的にこの両国に依存しているパラグアイとウルグアイはこれに追随するしか道が無かったと言えます。ブラジルは自身が南米そのものであり、残りの弱小国家はブラジルに従っていればそれで良いと考えている節があります。統合のコストを支払わすに自国を中心とする経済圏、要するに経済的には他の加盟国の植民地化を狙って来ました。パラグアイでは当然メルコスール反対の動きがありますが、そこは何となく時流に乗ることで凌いで来ました。ここに来て反米的な政権・ベネズエラが加盟し、メルコスールの中身自体が変化しており、必ずしもブラジルの意思だけでは動かない状況となっていますが、これはパラグアイにとっては望ましい事なのかも知れません。

パラグアイの外交の中で目に付くのは台湾の存在です。台湾・中華民国を承認しているのは現在世界で25ヶ国です。アフリカ、太平洋の小島、そして中米・カリブの国がほとんどでパラグアイは南米唯一の国です。ある意味では一番まともな国家なので、台湾政府は大事にしています。数年前に国会議事堂が建て替えられましたが、これも台湾が資金援助しました。国権の最高機関である国会を他国の資金をあてにして建てるというのは如何なものかと思いますが、パラグアイでは「いただけるものは喜んでいただき、使えるものは使いましょう」という姿勢があり、特に問題にはされないようです。台湾政府は国際的な援助のルールを超えて例えば省庁のランニングコストに当たる部分にまで資金援助しています。では何故台湾承認国なのか、という事ですが、歴史的に反共であった事が挙げられると思います。1989年まで続いた独裁的な政権にとっては反共を看板に掲げ、冷戦下で親米をアピールした方が徳であったからだろ思います。冷戦終結と共に独裁的な政権も終わりを告げましたが、現在に至るまで同じ政党が政権を維持しており、基本的な構造には変化がありません。お金を出して支えてくれる国家と断行する事など考えてもいないでしょう。経済的には大陸の中国政権とも既に密接に繋がっており、今更ここで断行して中国と国交を締結しても利益は少ないと見ているのでしょう。中国の狙いは資源大国であるブラジル・アルゼンチン、ベネズエラであり、パラグアイに特に関心を寄せる事は無いものと思います。ただし、ここで問題となっているのはメルコスールと中国との自由貿易協定・FTAです。メルコスールと中国とがFTAを締結するにはパラグアイが邪魔になって来ます。国交も無いのにFTAを締結する訳には行きません。今後中国政府の圧力は増して来るでしょうが、貴重な資金供給源となっている台湾政府と断行する事はまず現時点では無いと見ています。メルコスールと中国が関係を深める中でパラグアイと台湾との外交関係が一つの焦点となっており、パラグアイとしてもこれを利用して行く事でしょう。

日本との関係もパラグアイは逆らわない事が基本となっています。パラグアイは貰い上手な国です。何か援助資金・物資を貰うとけなげに喜んで見せます。大げさに歓迎式典を開催し、相手に喜んでいる意思を素直に示します。パラグアイは多額の援助を日本から受け取っていますが、これに対する外交政策は巧みです。国際社会の場で日本が提案する事に対して直ぐに賛成して見せるのです。例えば最近では日本が常任理事国になるという事で国際社会に働き掛けをしましたが、パラグアイは真っ先に賛成をしています。日本に対しては常に「親日国」を示す事で多額の資金援助を受けて来ました。そして米国に対しても近隣諸国とは多少異なった政策を打ち出しています。ポピュラリズムの台頭で南米では反米左翼的な政権が次々に誕生している中で親米をしっかりと全面に出し米国に協力する姿勢を見せています。これの方が徳であり、利益があると見ているのでしょう。深く熟考して外交戦略を立てているとは到底思えないのですが、利のある方に付く、流れに乗るという基本戦略が成功しているように見えます。両大国に挟まれて時流を見る感覚は確かなように思います。

パラグアイ人の体型(2006年 9月01日)
パラグアイに来て街を歩いて感じるのは「デブ」が非常に多いという事です。南米は大体において太っている人が多いは事実です。以前アルゼンチンが金融危機に陥った時に銀行に庶民が列を作って並んでテレビに向かって政府へ生活が困窮していると不満を訴えていましたが、どの人も丸々と太っていて世界からの同情を得るには至りませんでした。デブが多いこの南米にあってもパラグアイは特に多いのではないかと感じるのです。以前NHKで世界の様々な地図を見て考える番組があり、その中で「肥満」を取り上げていました。世界の国を肥満度に分けて色を付け塗り分けた世界地図が画面に出て来ました。肥満度最高を示す赤色は何と米国とパラグアイの二国だけでした。実際にパラグアイは世界最肥満国家のようなのです。

食生活を振り返りますと、好きな物は牛肉、それを毎日大量に食べている人が多いと思われます。パラグアイ人の食生活を見ていますと基本は「牛肉・マンジョカ芋・マテ茶」だと思います。これは貧富の差に関係無く同じであるように見えます。先進国ですと貧乏人と金持ちが描く「ご馳走」は別のものであり、実際に毎日食べているものもかなり異なると思います。贅を尽くした料理、高級料理というのは材料から違っているというのが他の国では常識で、例えば中国であれば満漢全席というのがありますが、熊の手を始め普通では手に入らない超高級食材が並びます。日本においては例えばフグ、マツタケなどは庶民には縁遠いもので、当方も今までの人生でどちらも口にした事がありません。興味はありますが、実際に食べた事が無いので食べたいと考える事もありません。多少お金があるならば美味しいウナギかお寿司でもと考えてしまいます。(どなたかご馳走してくれるのであれば喜んでお伴しますが・・)

パラグアイにおいてはご馳走のイメージは貧富の差が無く同じなのが特徴です。国民だれもが頭に描くご馳走のイメージは牛肉を焼いたアサードとマンジョカです。金持ちのパーティーでも貧乏人の集まりでも基本的なメニューは同じなのです。デブが多いのですが、一般の常識からすると栄養が足りている金持ちの方が太っていると考えます。多分昔の世界ではこのような現象があったのでしょう、パラグアイでは貧富の差に関係が無いように見えます。むしろ貧困層に太っている人が多いようにさえ見ます。中には歩く事も出来ないようなデブが居ますが、多くは金持ちではありません。では何故そうなるのでしょうか?一つの原因は肉の質にあると推測します。肉の値段は部位によって違うのですが一般的に油脂が多い程安い傾向があります。この結果として収入が少ない人ほど油脂分が多い肉を購入する結果となります。富裕層であれば例え油脂分が付いていても取り除く人が多いでしょうが、貧困層では全部食べてしまうでしょう。また富裕層ではしっかりとした教育知識もあり、肥満に対する知識もあり、体型を保つ意識も高いと推測します。

このような食生活を続けて肥満であれば、当然成人病が多いと思いますが、医者に聞きますと確かに多いそうですが、想像している程では無いようです。成人病予防には大量の食物繊維を摂取する必要があるようですが、パラグアイ人は大量にマンジョカ芋を食べる事で賄っているのでしょう。野菜をほとんど食べないパラグアイ人にとってビタミン等が含まれているマテ茶は必要不可欠なものなのでしょう。時代が変化し食生活にも変化が出ていますが、パラグアイ人は食に関しては非常に保守的で、今後も余り変わる事は無いでしょう。むしろ最近牛肉の質が向上しており、ますます牛肉を食べる傾向が強まるのでは無いかと想像しています。そうであれば肥満大国はしばらく続くと考えて間違い無いと思います。

佐賀県とパラグアイ(2007年 9月11日)
パラグアイと似ている国に関しては以前ここに記しました。ジンバブエやラオスなどは置かれている状況が似ていると思っています。他に似ている場所は無いかと考えてみましたが、スケールの差はありますが、九州における佐賀県の立場がパラグアイと似ているのではないでしょうか?パラグアイは南米の中央に位置している国ですが、日本人が「南米」で思い付くのはブラジル、アルゼンチン、ペルーなどだと思います。ギニア三ヶ国は少々文化も違うので除きますと南米10ヶ国で思い出す順番を付けますとエクアドルと並んで最下位になるのでは?と思います。余り目立たない国、田舎の国という印象があります。

一方の佐賀県ですが、九州の中で同じような立場にあります。皆さんがまず思い浮かべるのは福岡県でしょう。異国情緒溢れる長崎県、別府、湯布院などがある大分県、天草、阿蘇を有する九州の中央に位置する熊本県、桜島の景色でインパクトがある鹿児島県、南国の情緒に溢れる宮崎県と残りの6つの県はどこも個性があります。佐賀県と言いますと伊万里焼などが有名ですが景色、イメージが湧きません。数年前に「はなわ」というコメディアンが佐賀県を茶化した歌で人気を集めていましたが、オチは何時も田舎であるというものでした。県庁がある佐賀市のイメージも他の8つの市と比較して余り印象がありません。アスンシオン市が他の国の主要都市と比較して印象が薄いのと似ているように思います。九州で観光地になっていない唯一の県庁所在地になっています。県の面積も他の県と比較して狭く人口も86万人しか居ません。隣の福岡に飲み込まれそうになっており、経済圏としては福岡です。パラグアイも田舎で人口が少なく経済的には隣のブラジルに飲み込まれそうになっています。佐賀市は筑後川に面していますが、反対側は福岡県大川市です、県庁の建物からでも約10キロ程で着きます。アスンシオンがパラグアイ川に面していて対面はアルゼンチンというのと似ていますね。また、南米は世界の外れにあり、その中で田舎のパラグアイですが、九州は日本の端に位置していてその中の田舎の佐賀県と立場が似ています。

何となく陰が薄い佐賀県とパラグアイですが、過去には栄光の時代がありました。パラグアイは南米の先進国として君臨した時代があります。三国戦争で負けて衰退しました。佐賀は幕末の時代、肥前藩は日本で最近の藩としてアームストロング砲や蒸気船を地力で開発し、日本国内では最先端でした。薩長は肥前の技術力を評価し、仲間に引き入れ、幕末の最終局面では薩長土肥となっています。明治政府には多くの人を輩出していましたが、佐賀の乱で新政府に反抗し、肥前は長崎県と佐賀県の二つに分割されて以来すっかり陰が薄くなり田舎県に転落しています。世界の人がパラグアイを思い出すのはサッカーで活躍する時くらい、日本の人が佐賀を意識するのは高校野球で佐賀北高校が優勝した時くらいでしょう。このような点も似ていますね。時代に取り残されて来たパラグアイと佐賀県ですが、逆転の発想が出て来てまた主役に躍り出る時代が来るのではないかと密かに期待しています。

パラグアイから見た世界、日本からと比較して(2009年 3月02日)
アスンシオンと東京を直線で結ぶと18000キロ離れている事が分かります、本当に遠いですね。中間地点はそれぞれの地点から9千キロという事でロスアンジェルス付近の太平洋上という事になります。東京とサンパウロを直線で結ぶとニューヨークの付近を通過するので随分ルートが異なりまし、サンパウロよりは短いのですが、それでも対蹠点までの90%という事になります。

アスンシオン、東京から正距方位図法で同心円を描くと下記の通りになります。同じ地球上に居ても見えている世界が異なるのが実感出来ます。最初の円は2500キロである程度近くにある地域と実感出来ます。東京からですと朝鮮半島、台湾、中国主要部などが入りこの辺りまでが近い場所です。アスンシオンからですとブラジル、アルゼンチン、ウルグアイ、ボリビア、チリの主要部が入ります、アスンシオンから感じる近い地域です。次に5千キロを見ますと東京からですと、ガダルカナル、インパール、アッツ島など日本が第二次世界大戦に最大に版図を広げた一番外側に当たります。この5千キロラインの地点で敗戦を喫しその後ほとんど反撃する事も出来ず終戦となっています。インドやオーストラリアそしてアラスカの近くで日本からの実感としては日本に影響を及ぼす可能性のある一番遠方の地点というのが実感でしょう。アスンシオンからですと南米全域のみがこの円の中に入ります。パラグアイの人達が南米のみが自分に影響する地域と感じているのは当然であると言えます。

一万キロという距離は地球の反対側までの半分、遠いが何とか意識がある地域であると思います。東京からですとアフリカと中南米を除くほぼ全域が入ります。日本の中学の地理の教科書で中南米とアフリカについて教えていないのは外の地域という感覚があるからだと思います。アスンシオンからですと北米、西欧アフリカの半分が入ります。南米とアフリカは確かに距離的には欧米と同じくらいもしくはそれ以上に近いのですが交流は限定されており、実際の距離よりは遠い印象があります。パラグアイからですと米州と西欧までが意識する世界であるのも頷けます。

大パラグアイ(2009年 3月29日)
パラグアイの人の夢は大パラグアイでしょう。現在は南米の中央に位置しているとは言えアルゼンチン、ブラジルが目立つ中で埋没しており、余り注目されていないパラグアイですが、「南米の元祖」特にラプラタ流域の中心という意識は強く持っているように見えます。大航海時代にスペイン、ポルトガルの人が南米に来た理由は何と言いましても金銀財宝を求めてでしょう。当初は南米に根付く事などは念頭に無くひと山当てる事だけを考えていたと想像します。スペイン領の南部南米の最大の関心事は現在のポトシに在る銀であり、これを求めて多くの人がこの地域にやって来ました。ラプラタというのは銀という意味、そしてアルゼンチンという国号も銀という意味ですので当時の銀を求める想いというのすさまじいものがあった事でしょう。多くの人が銀を求めてラプラタ河を遡り、アスンシオンを拠点にして更に河を上っていったのでしょう。アスンシオン市そしてパラグアイの開発は銀を求めての旅の途中、過程であり入植自体が目的であった訳ではありませんでした。その後ポトシへはペルーから探索していた人が到達してリマ方面に抜けるルートが確立しました。そうなりますとラプラタ流域の拠点は本来の意味を失い取り残される事となり土着化が始まり植民地化が始まります。最初から計画的な入植をした訳ではない地域の開発を目的としたものではなかった訳です。結果的にはパラグアイは現地が進み「パラグアイ人」という意識が強くなって行ったと考えます。

その後周囲との関係は余り芳しくなく、ブラジルからはバンデイランチという開拓者によって領土が侵食されこの為にヴィジャリカのように7回も引っ越しを余儀無くされたケースもあります。約200年前の独立当時は隆盛を誇り南米の先進国として名を馳せていました。更にはナポレオン、ナポレオン三世の影響があり、拡大主義に走りブラジル、アルゼンチンとウルグアイを巡る戦争を行って大敗し領土の半分と国民の多数を失いその後は現在に至るまで南米の小国に甘んじています。北半球全体を舞台にした第二次世界大戦と南米限定の三国戦争と規模の差はありますが、日本の第二次世界大戦とよく似ています。ただ異なる点も多く戦後日本は大いに経済発展を遂げた事に対してパラグアイは沈滞したままです。これは国民の質ややる気という問題よりも国際情勢そして地勢に拠る点が大きいと思います。日本の場合には米ソによる冷戦が始まり日本は米国側の最前線としての役割を担う事となりその為に意図的に米国は支援しまた戦争特需で潤い一気に経済成長を遂げました。これに対してパラグアイはアルゼンチン、ブラジルにとってはやっかいな存在以外の何者でも無く黙って「静かにしておれ」と考えられている存在です。この構図は現在も変化無くパラグアイ人の両国に対する不満に繋がっています。

パラグアイの分岐点となった三国戦争に勝っていればという思いは日本人が第二次世界大戦に対するものとは比較にならないと思います。戦争が勃発する際には双方に言い分があり、一方のみが悪いという事はあり得ないと思います。第二次世界大戦後、極東軍事裁判なるものが開かれて日本側で戦争を推進したとされる人達が戦勝国によって裁かれ死刑にされていますが、これは納得出来ないと考える人が多いのも当然です。まして男性成人の半数以上そして最終局面で大統領が戦死するという異常な事態の中で大敗したパラグアイ人の無念は相当なものがあったと思います。あの三国戦争で買っていれば現在はアルゼンチン、ブラジルと互角に渡り合えたのにという思いは相当残っているように感じます。

コンセプシオン市の博物館に中央に飾られている地図があります。古地図にしてはいやに目立つ展示をしていると不思議に思い見ますと何と大パラグアイが描かれた地図でした。三国戦争のかなり前の時代、まだ植民地時代に17世紀にパリで印刷されたものです。この後にアルゼンチンが分離され副王領となり繁栄して行きます。当時としては確定していない部分も多かったでしょうが本当にこのような国境となっており、領土であったのでしょう。

独立後、三国戦争を戦う際には当時の指導者達の頭の中にはこの地図の版図が本来のあるべきパラグアイであり、奪還するべき対象と考えていたのかも知れません、ウルグアイは元々は自国の領土であり、奪え返して何が悪いと考えていたのでしょう。この地図のパラグアイは南米の中央の大国として存在し、首都のアスンシオン市は国の中央に位置しており、現在のクリチバ以南のブラジル南部三州、ウルグアイ全土そしてブエノスアイレスを含むアルゼンチン全土がパラグアイになっています。国は6つの州で構成されており、「パラグアイ」「グアイラ」「ウルグアイ」「パラナ」「リオ・デ・ラプラタ」などに分かれています。この地図の通りの国が成立していたならばブラジル以上の国力の南米随一の国となっていた事でしょう。パラグアイの人達の儚い夢ですが、現実となっていた可能性もあったと思います。ただこのような国になっていた場合には国の形が全く別のものになっていた事でしょう。どちらが幸せであったのか分かりませんね。

エリート (2009年05月02日)
パラグアイ人のエリートに対する見方はどのようなものなのでしょう。まず日本の場合を考えてみますと日本人のエリートに対するイメージは多分「一流大学を出て中央官庁もしくは一流企業に勤務いしている人」というようなものでしょう、そこに行けばエリートが集団を作りお互いに競い合いながら高度な業務をこなしているというようなものでしょう。一流大学も一流会社も特に定義があるわけではありませんが、メディアなどを通じてある程度序列化が進み、社会的な勝組と見なされ若い人達はエリートになる事を目指しているのでしょう。昔と比較しますと大分緩和されたとは言え激しい受験競争があるのはエリートを目指す戦いが存在する証だと思います。一旦、エリートとなりますと自他ともに意識し、日常の行動にも節度を求められ、毎日を切磋琢磨しながら生きて行くというイメージがあります。このエリートの概念には収入との相関は問題では無く、あくまで社会的な立場が重要であるよに思います。エリートを目指すのは社会的な勝者を目指しているもので、当然社会的な地位が高ければ収入も多くなるはずですが、金銭はどちらかと言いますと副次的なもので後から付いて来ると考えているでしょう、金が目的では無い点が少々特殊なように思います。

パラグアイは貧富の差が大きい国ですので社会的な勝者と敗者がはっきりと分かれていると言えます。金持ちと貧乏という概念は国民誰もがはっきりと持っていますが、エリートと非エリートという概念が無いように見えます。一つにはエリート集団が無い事が挙げられます。大企業が存在しないので雇用されているサラリーマンでエリートという層が存在しません。パラグアイでは激しい受験競争は余り目立ちません、確かにアスンシオン大学医学部のように受験競争が激しい場合はありますが、どちからと言いますとこれは例外であり、私立大学など大体の場合にはそれ程激しい競争はありません。そもそも日本で考えるようなエリート集団が存在しないので目指すモチベーションが無いようです。官庁も日本のような定期採用は無く、どちからと言いますとほとんどが縁故採用という感じですので個々では能力の高い人が居ますが優秀な人が集団を作っているという印象ではありません。これに対して金持ちと貧乏人の差は歴然としていて、大人になるに従い自分がどちらの層に属しているのかはっきりと分かります。都市部と農村部との格差は大きいものがあり、都市の中でも富裕層と貧困層の格差は大きいものがあります。貧困層の多くの人はこれは運の問題で富裕層は楽をして金持ちになっていると考えているように見えます。確かにある程度生まれで将来の所得が決まり、また貧困層の人が富裕層の生活を見る場面は運転手もしくはお手伝いさんというような職業でしょうが、そこでの富裕層の人は確かに楽をしている事でしょう。富裕層の人はそのような人には自分の重要な部分は見せないでしょうし、また見せる必要もないからで主にオフタイムの時間にこのよう人達と一緒に居る事が多いと考えられます。オフタイムしか見ないのでこのような人達は「自分達は一所懸命働いているのに雇用者はぐうたらしている」と考える事でしょう。

ではパラグアイ人に「エリート」というのはどのような人なのか尋ねるとどのような答えが返って来るのでしょう、多分、「豪邸に住み、大きな牧場と幾つかの企業を所有し、センテナリオのような有名クラブに所属し高級車を数台所有し、ブラジルもしくはウルグアイの海岸に別荘を持ち年に数回はマイアミに出掛ける人」というようなものでしょう。そこには努力して得るものという概念が無く世襲で生れ付き得られるものというイメージがあります、これはエリートでは無く金持ちのイメージでそもそもエリート層というものが存在しないので想像が出来ないというのが正しいのでしょう。不幸にもそのような恵まれた境遇に生まれなかった大多数の人達は不平不満を口にしながら何も努力もせず、神から降って来る幸運をただ待ち、時には政府に文句を付け、「自分達にも何かくれ」と要求を言うだけという事になります。このような意識の人達に何かを与えてもそこから生まれるものは無く余り効果は期待出来ないのかも知れません、反応は「もっとくれ」なのかも知れません。その中で向上心のある人は特殊な技能、職種に付き立身出世を目指します。能力の高い人は猛烈に勉強をし、特に優秀な人は本当の意味でのエリートを目指して国外に行くケースもあるようです。また苦学を続け官庁や企業等で能力を発揮し社会の下支えとなっている人も多く居ます、確かに最近はこのような人達がかなり増えて中間層を築き始めているように見えます。また中には自分の不遇な生まれから社会に対する復讐心を抱く人も居て、プラス思考で社会に貢献する事を目指すのでは無く悪徳弁護士や賄賂をせびるような警官になるというケースもあるように見えます。

貧困から抜け出す、社会のレベルを上げて行くにはしっかりとしたエリート集団を築く事が重要なファクターではないかと思います。日本が明治維新以降、発展をを遂げたのは若い人にエリートのイメージを植え付け、努力をすれば誰でもエリートになれると公正な形で競争をさせた事にあるように思います。明治の高級軍人には外様の藩の人が数多く居ますし、試験を突破すれば誰でも高級官僚の道が開けていました。出自を問わず能力があれば登用する事で日本は発展を遂げて来ました。パラグアイでは人口が増加し経済が大きくなり次第に社会が熟成して来ています。現在育ちつつある中間層がその活躍している企業、官庁の中でエリート集団を形成し、本人達がやりがいを持ち、業務の成果が社会に見える形で示す事が出来、それに伴う安定した収入を得られるようになればモチベーションが出て、若い人の多くの人が勉強をし、社会が活性化するのではないかと期待しています。金持ちになりたいという意識を社会に貢献するエリートになりたいという気持ちに変える事が出来れば社会はより活性化するのではないかと期待しています。






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