民政移管され1993年に初めて民主的な選挙が実施され、ワスモシ大統領が選出、経済危機、クーデター騒ぎなどがあり政治的には不安定な状況で98年の大統領選挙を迎える事になりました。民主化されて二度目の選挙でまだ選挙に慣れておらず予備選から波乱含みでした。ここではその当時に掲載した文章をそのまま掲載して参ります。
(1997年 9月 7日)
パラグアイは今年「大統領選挙」の年を迎えています、民政に移管してまだ2回目の大統領選びで、新しい政権が発足するまでには紆余曲折が予想されます。現在のワスモシ大統領が選出される時も色々なドラマがありました、今回は果たしてどうなるでしょうか?
日本のようにしっかりとした公務員の機構があり、政権が変わっても基本的には公務員は変わらないのであれば、問題は無いのですが、政権が交代すると担当者レベルまでパラグアイではかなりの人が代わってしまうのです。ですから「誰が大統領になるのか」というのは国民にとり、特に公務員にとっては非常に大きな問題なのです。皆、生活に直接関係があるので、政治に無関心ではいられないのです。
与党・赤党の有力候補は3人
赤党は長年政権を担当して来た党。赤党の候補が大統領に就任する可能性はかなり高いとの予想もあります。
1・リノ・オビエド氏(オビエド-クーバス)
元将軍、96年4月、ワスモシ大統領に対する軍事クーデター騒ぎで一躍時の人となった人物。この時には世論はクーデターを支持せず、国際世論にも押されてクーデターは空振りに終わり、その後軍服を脱ぎ、今回一転して与党候補として、大統領に挑戦。貧農・労働者をターゲットに選挙運動を展開。
副大統領候補には富裕層・インテリ層への食い込みを狙いクーバス氏を起用した。
2・ルイス・マリア・アルカーニャ氏(アルガーニャ-フルート)
現在の党首、前回に続いての挑戦。赤党員として、また政治家として長い経歴を持ち、広範な支持者を有している。中間層が地盤。前回の大統領選の時には赤党内の選挙でワスモシ現大統領と最後まで候補者を争った。(実際にはアルガーニャ候補の方が票数が多かったという噂が今でも流れている。)
3・カルロス・ファセティ氏(ファセッティ-イバーネス)現職のワスモシ大統領の後継者として登場した人物。前者の二人は長年の実力者であるのに対して、企業家達の代表として急浮上して来た。都市部ならびに富裕層が地盤。
副大統領候補には田舎・農民層への食い込みを狙い、イバーネス氏を起用した。
9月7日(日)に赤党内の選挙を行い、赤党の候補者を決定することになっていますが、すんなりと決まるか、決まってもその候補で党内が一本化するのか疑問視する意見も多く聞かれます。特にリノ候補は昨年クーデター騒ぎを引き起こしてワスモシ大統領に対抗したのでその遺恨が残っているのではとの推測もあるようです。世論調査の結果では、リノ候補、アルガーニャ候補が有力であるとの結果出ていますが、結果は果たしてどうなるのか注目されます。
この他では現職の副大統領である、セイファート氏も出馬しているのですが、余り人気が無く、かなりの苦戦が予想されています。
*赤党の党内選挙は、「大統領候補-副大統領候補」を選択するものです。一番得票の多かったチームが与党・赤党の大統領、副大統領候補となるわけです。
( 1997年 9月8日)
昨日、予定されていた全国一斉に赤党の選挙が行われました。心配されていたような大きな混乱は無かったようです。当初、党の予定では、今日には開票が終わり集計して新しい党の大統領候補を決定する予定であったらしいのですが、大方の予想通り、混乱しているようで、まだ最終結果は出ていません。
現在の状況はルイス・マリア・アルガーニャ候補とリノ・オビエド候補がそれぞれ35%程度の得票を得てほとんど並んでいるようです。3位のカルロス・ファセッティ候補は25%程度の得票で敗北は決定的になっているようです。果たしてどちらの候補を赤党の候補者とするのでしょうか?
なお、本日の新聞は各紙それぞれ選挙の特集を載せているのですが、2大紙の「ABC-コロール」と「ノティシア」では全く正反対の内容の記事が掲載されていました。
まず「ABC-コロール」では「リノ優勢」を一面に載せて、馬に乗ったリノ候補がかつての独裁者「ストルエスネル元大統領」に向けて「アルガーニャ候補」を蹴り飛ばしている漫画が大きく掲載されていて、記事の内容もリノ氏の支持者達のお祭り騒ぎの様子などを伝えています。
一方の「ノティシア」では、「アルガーニャ勝利」という見出しでアルガーニャ候補がにこやかに支持者と共に写っています。
両方の開票速報の内容も異なっており、両方を見ると一体どうなっているのか理解に苦しみます。まあパラグアイらしいと言えば言えるのですが。
9月8日・朝刊、2大紙が全く正反対の記事を掲載している。
なお、ファセッティ候補は潤沢な資金で動員を図り、選挙運動も一番華やかに行っていて、選挙前は選挙本部にも多くの人が集まり選挙運動を行っていましたが、本日訪れてみますと閑散として誰も居ませんでした、候補者のポスターがびっしりと貼られた壁が寂しげでした。
(1997年 9月9日)
8日(月)には開票がどんどんと進む予定であったのですが、遅れていて、午後になっても発表される情報は少なく、勝利を確信しているリノ候補の支持者達が赤党本部に押し寄せ騒ぎ出し、地方から投票用紙を持って党本部に向かう人達は危険を感じて本部に近寄れない状況となりました。その為に開票作業は予定よりも早く打ちきられて、ますます遅れる様子です。
現在までの開票を見る限りでは、リノ候補、アルガーニャ候補の得票は接近しており、ほぼ互角の戦いになっています。
開票が進むにつれてリノ候補とアルガーニャ候補との差は1万票にも開き、リノ候補有利な展開となっていますが、まだ正式な発表はありません。リノ候補で党内がまとまるのか難しい情勢と言えます。
(1997年 9月13日)
リノ候補支持者とアルガーニャ候補支持者に対してどちらが勝にしても選挙管理委員会のメンバーは糾弾されることになるので、開票は完全にストップしてしまいました。リノ候補を支持するABC-コロール等はリノ候補が勝利したことを前提に党内有力者(リケルメ氏、セイファート副大統領等)との話し合いに臨んでいることを伝える一方、経済誌では企業家が心配している様子などを伝えています。党内の調整にしばらく時間がかかる見込みです。
リノ候補支持者とアルガーニャ候補支持者に対してどちらが勝にしても選挙管理委員会のメンバーは糾弾されることになるので、開票は完全にストップしてしまいました。リノ候補を支持するABC-コロール等はリノ候補が勝利したことを前提に党内有力者(リケルメ氏、セイファート副大統領等)との話し合いに臨んでいることを伝える一方、経済誌では企業家が心配している様子などを伝えています。党内の調整にしばらく時間がかかる見込みです。
9月13日、夕刊ウルティマ・オーラの一面
夕刊誌・ウルティマ・オーラでは一面でリノ候補とアルガーニャ候補が鉛筆を削り、互いの得票にバツ印を付けている漫画が掲載されて「赤党内では、非難の応酬の為に鉛筆が削られた」との見出しが出ていました。
一方野党第一党の「青党」の方も党内選挙が9月28日に行われるので、アスンシオン市内にも多くのポスターが貼られ、新聞には候補者の広告が出るようになっています。世論調査(ABC-コロール)によりますとライーノ党首が58%の支持を獲得して2位のサギエル候補を大きく引き離して有利であることが報じられていました。
第3党「エンクエントロ・ナショナル」との連携も話し合われており、2,3党が一つにまとまり、統一候補を出すことが出来れば野党側にも多いに勝利のチャンスはあると思います。赤党が政権を握ったのはもう50年くらい前で誰も政党が交代しての政権交代の記憶は無く、まさに未知の世界です。
赤党
リノ・オビエド候補のリードは約7千票で、差は全有効票の1%程度、まだ最終決定は出ていません。もう少し時間がかかりそうです。
青党
28日に党の大統領候補を決定する選挙が行われます。ドミンゴ・ライーノ氏とティト・サギエールの一騎打ち。ドミンゴ・ライーノ氏が一歩リードがしている、選挙戦は終了して来週の選挙を待つばかりである。
エンクエントロ
前アスンシオン市長である、カルロス・フィリソーラ氏が副大統領候補に指名された。今回は対立候補も無く、信任投票の色彩が強かった。来週の青党で選出される大統領候補と組み、赤党の候補と争う。
(1997年 9月24日)
赤党
赤党選挙管理委員会はリノ・オビエド候補の勝利を通告したもようです。選挙実施後16日間かかりやっと出た結論ですが、アルガーニャ候補陣営は納得しておらず、提訴する予定。リノ候補の得票も有効得票の三分の一を少し上回る程度で、党内がリノ・オビエド候補で一本化出来るのかまだ流動的です。
(1997年 9月30日)
赤党
リノ・オビエド候補は党が最終決定が出ないことに対して「自分から候補者の権利を剥奪することになれば自分の支持者に一斉蜂起させて国中の交通を麻痺させる、これには200人にゼロが3つつくだけの人が参加するだろう、ワスモシ大統領、米国、ブラジル大使が自分に反対したのが選挙に有利に働いた、自分が政権に就いた時には自分を支持してくれた人を軍幹部ならびに大臣にするだろう、政府の主な建物にはパラグアイ国旗と共に赤党の党旗を掲げるようにしたい。」等と述べたと最大紙ABCは伝えた。
青党・エンクエントロ連合
青党の選挙は28日に行われ、大統領候補としてライーノ候補が全体の三分の二を獲得して大統領候補になり、早速エンクエントロ党から選出された副大統領候補のフィリソーラ氏と会談、もめている赤党との対照を見せた。
これで赤党候補との事実上の一騎打ちの様相となっています。前回はこの両党が独自の候補を出したことが赤党勝利の最大要因と言われていただけに今回の両党の連合がスムーズに進んだ事は今後の政局に大きな影響を与えるでしょう。(赤党には結束しないと負けるという危機感が出ている。)
(1997年10月19日)
赤党
ワズモシ大統領が昨年リノ候補がクーデター騒ぎを起こした責任があり、30日間の拘留を求めた。実際は拘留は実現せず、といって大統領候補に正式になったわけでもなく、依然として中途半端な状態が続いています。
(1997年10月31日)
赤党
ワズモシ大統領が昨年リノ候補の拘留を強行しようとして、リノ・オビエド氏の自宅はものものしい騒ぎになっています。両者の対立は決定的になって来たようです。
リノ・オビエド氏自宅の包囲
(1997年12月21日)
赤党
ワズモシ大統領がリノ候補を拘留し、裁判にかけるかけないでもめているようです。次第に素人にはよく理解出来ない状況になって来ています。一部には大統領選挙そのものの延期、もしくはワスモシ大統領による「アウト・ゴルペ」要するにクーデターを大統領自身が行う等のうわさも流れています。3月には大統領候補者を登記しなくてはならないのですが、クリスマスが近づき、バカンスシーズンに入り調整は難航しそうな気配です。
(1997年12月30日)
赤党
与党・赤党・選挙管理委員会は正式にリノ・オビエド候補が党内候補選挙に勝利したと発表し、アルガーニャ候補もこれを認める発言をした。これにより、5月に行われる選挙は与党リノ・オビエド候補、対野党連合の一騎打ちとなる事がほぼ確定しました。
(1998年 3月10日)
赤党
次第に状況が理解出来なくなり、不透明感が増している赤党候補。本日複数の新聞(ABC他)によると、「軍事特別法廷はリノ・オビエドに1996年4月に起こした軍事的混乱の罪により、禁固10年の判決を出した」と報道した。
ABC紙はこのところ連日のように「ワスモシ-アルガーニャ・グループが選挙の延期を企んでいる、これはクーデターと同じだ」という批判キャンペーンを行っている。
(1998年 4月18日)
赤党
最高裁は3月9日に軍事特別法廷で行われた、リノ・オビエド元将軍が1996年4月に起こした軍事的混乱の罪による禁固10年の判決を承認した。判決は5-4であった。これでリノ・オビエド候補の大統領候補は無効となる可能性が強く、この場合には選挙規定によると与党・赤党の大統領候補はオビエド元将軍と副大統領候補で組んだラウル・クーバス・グラウ氏、また副大統領候補としては大統領候補次点のアルガーニャ氏が繰り上がることになります。
また、全米首脳会議の為にチリを訪問しているワスモシ大統領は、報道官を通じて「大統領選挙の5月10日の期日ならびに最高裁の判決を尊重する」との談話を発表した。
*一夜明けても市内は非常に平静で心配したような混乱は起きていません。今後はこの判決に従い、与党候補が一本化出来るのか、5月10日に迫った大統領選挙に臨めるのか、もしくは混乱が深まるのか注目されるところです。
ワスモシ大統領としては2年前に自分に対してクーデター騒ぎを起こしたリノ・オビエド氏の有罪判決は尊重するでしょうし、国内外の世論から選挙は実施される可能性が高いと思います。これでたとえ与党が一本化して選挙戦に臨んだとしても準備不足は否めず40年以上続いた政権を失う可能性も出てきたのではないかと思います。
有力紙の反応(18日朝刊)
「ABC コロール」リノ・オビエド氏寄り)
見出しは「最高裁は軍事特別法廷の判決を承認」というタイトルで最高裁9人の判事を写真入りで紹介、オビエド派の反対意見を掲載するなどしているが最高裁の判決自体は尊重。また「ワスモシ大統領はクーバス候補を支持することを約束」との記事も載せている。
「ノティシアス」 (アルガーニャ氏寄り)
見出しは「共和国は救われた」とあり、リノ・オビエド10年間・拘留決定までの経緯という20ページにも渡る特集を掲載している。
(1998年 4月22日)
大統領候補は与党赤党・ラウル・クーバス・グラウ氏(写真右)と与党連合・ドミンゴ・ライーノ氏(写真左)に決定、いよいよ選挙に向けて両者の戦いが始まります。次の焦点は選挙日です。与党側から選挙の1ヶ月程度の延期が議論されています。日本等の先進国に住んでいると一党の内部紛糾で国政選挙のスケジュールが変わる等考えられないことかも知れませんが、現在真剣に討議されています。不慮の事で大統領候補が変更となり短期間の選挙戦では国民の民意を十分に把握出来ないという論理なのだそうです。
野党連合は選挙に対して十分な用意が出来ており、主要道路では支持者が自動車に貼る宣伝ステッカーを配り支持を訴えています。
大統領候補(左:ライーノ氏、右:クーバス氏)
この日のABCコロールの一面は「大統領候補者は選挙の延期を望まない」というタイトルで二人の写真を掲載しています。
(1998年 4月24日)
大手朝刊・ABCコロールは世論調査を行いその結果
クーバス・アルガーニャ (与党・赤党)43.2%
ライーノ・フィリソーラ (野党連合) 43.5%
とかなりの接戦となっており、見出しは「引き分け」となっており、一面ではの両陣営が一列に並び、態度を保留している人がどうしようかと悩んでいるイラストが出ている。
ゴール間近、両陣営一線に並んでいる。有権者はどちらにしようかまだ迷っている。
昨日はかなり公務員による大規模なデモが行われた。主に赤党の職員によるもので、選挙管理委員会に対して選挙の延期を申し立てた。選挙管理委員会はこれに対して「選挙は5月10日に予定通り行われる」と説明した。公務員のかなりの部分は赤党員で、政権が交代すると失職する可能性もあり、準備不足により赤党が負けてしまう事を危惧しての行動ですが、勤務している職場を放棄してのデモなのでかなり批判が出ています。
様々な噂が飛び交う中、両陣営とも選挙延期の可能性を睨んで選挙運動のピークをどのように持っていくのか思案している様子ですが、ここに来て一気に盛り上がって来ました。街には両陣営支持の自動車の隊列が陣営の旗を立ててクラクションを鳴らしながら疾走して行くという光景がよく見られるようになりました。
(1998年 5月05日)
リノ・オビエド氏の裁判に多くの時間が費やされて選挙そのものへの関心が今一つと言った印象を受ける中、エンクエントロの産みの親で都市層・インテリ層に幅広い支持を得ているギジェルモ・カバジェロ・バルガス氏が前面に出て野党連合(アリアンサ)を応援、選挙に勝利して政権を取った場合には経済担当大臣なかば首相のような立場で政権に加わる事を表明した。一方の与党・赤党では早くもリノ・オビエド氏の恩赦の問題が既に浮上しています。
選挙の予想はまちまちで色々な人に尋ねても与野党接近と言った感触を受けます。都市部、インテリ層では野党連合、田舎・農村部では与党・赤党が強いようで、互角の勝負と言った印象を持っています。
今日はアスンシオン市内の公園で与党・赤党の選挙運動をしめくくる決起集会が行われました。クーバス、アルガーニャの正副大統領候補を始め、セイファート副大統領、リノ・オビエド夫人等が出席し、党員が動員され、参加者は主催者側の発表では15万人とも言っていました。ただワスモシ大統領が参加していないのです、聞くところによりますと招待されなかったとか、既に大統領の求心力はかなり低下しているように思います。
心配されていた5月10日選挙実施に関してはどうやら予定通り実施しそうな気配です。赤党も十分に勝算があると踏んだものと思います。
(1998年 5月08日)
両陣営とも選挙戦の最終段階となり、支援者を街に繰り出しての応援合戦となっています。自家用車、バス、トラックに乗り、与党・赤党は赤旗、野党連合・アリアンサは白の連合旗もしくは青党の青旗かエンクエントロの旗を振り、隊列を組みクラクションを鳴らしながらアスンシオン市内を走ります。写真は今日のABCコロールの一面の写真で両陣営の応援風景です。動員されている人も多いのかも知れませんが多くはお祭りの乗りで楽しんでいると言った感じです。
赤党は長い期間「リノ派」と「アルガーニャ派」そして「ワスモシ・ファセッチ派」に別れて党内抗争を行って来たので、現在でもまとまりが悪く、通常自動車等に貼るステッカーは「正副大統領候補」の名前を書くものですが、反アルガーニャ・オビエド支持者の為にか、「オビエドに自由を、クーバスに投票を」というスローガンが書かれているステッカーをよく目にします。赤党への投票は「クーバスに」「オビエドを自由する為に」「アルガーニャに」「反アリアンサ」等思いは複雑なものでしょう。
昨日はテレビで両候補による討論会が放送されていました。友人達の感想としては「引き分け」であったようです。
(1998年 5月09日)
選挙前日になり、アスンシオンの街はいつもよりは多少華やいでいる感じを受けますが、特に変わった点も無く、与党・赤党の本部前に行ってみましたが、意外と静かでした。もう明日の選挙を待つばかりと言った心境でしょう。
友人・知人にどちらが勝つか予想を聞いてみましたが、やはり順当に組織力がある与党・赤党が勝つだろうという声が多かったのですが、一方では与党内部の抗争で党内が完全に割れているので、野党連合・アリアンサが勝つであろうという意見もありました。
さて、どのような結果が出ますか?
(1998年 5月10日・午前)
いよいよ、選挙当日になりました。アスンシオンの天気はうす曇り、朝の気温は16度。このところ天気が続いているので、内陸部の非舗装道路も問題無く通過出来ると思います。特に問題も無く投票は行われているようです。
ワスモシ大統領は午前7時、ライーノ候補は午前7時半には投票を終わりました。投票は身分証明署を持って所定の投票所に行くだけで自分の投票したい方に判を押して投票箱に入れるという方法です。各党には色が付いていて文字が読めない人も自分の支持政党に投票出来るようになっているようです。
開票は投票時間が終了すると同時に始まりますが、赤党の党内選挙の開票では結果が出るまで半月以上かかったのですが、果たして結果は何時頃出るでしょうか?
(5月10日・午後)
穏やかな一日で天候にも恵まれて、投票は大きな混乱も無く予定通り午後5時に終了しました。テレビ等では出口調査の結果を発表し、与党・赤党が過半数を制し優位に立っているという報道を行い、それに伴いアスンシオン市内では多数の赤党の支持者が街に繰り出し丁度ワールドカップで勝利したような雰囲気となっています。
一方の野党連合・アリアンサはライーノ候補がテレビのインタービューに答えて、「出口調査はあくまで出口調査であり、選挙には自分達が勝利する」と話をした。
(1998年 5月11日)
開票が進み、10%近い程度の差が付き、テレビでは与党・赤党の勝利確定を報道している。一方、野党・アリアンサでは「選挙の開票には不正が働き選挙結果は正しく無い、選挙管理委員会に徹底調査を依頼する。」として、実際に勝利しているのは我が方としている。野党・アリアンサによれば、各地からアスンシオンに着く選挙開票数はFAXで為されているのですが、その内の80%に不正があり、選挙結果は捻じ曲げられているとしている。
その後、夜になり、野党連合は敗戦を認め赤党の勝利が確定した。 各新聞は選挙の特報版を出し選挙の結果を詳しく報道している。同時に行われた17県知事選挙でも与党・赤党が13県で勝利し、野党連合・アリアンサは4つの県で勝利するに留まった。国会議員選挙でも赤党は着実に票を伸ばして議席を確保し、完勝と言った感じを受けます。新聞・「特報・選挙版:ABCコロール」の一面では選挙結果の風刺画が掲載された。(クーバスが勝利、一方のライーノは負けて悔しがっている。オビエドは牢屋の中に居て鍵を開けて貰えると喜んでいる。というもの)
選挙結果の風刺画 :ABCコロール紙より)
夜半から未明にかけて体勢が判明すると早々とクーバス候補は勝利宣言を行い、支持者の歓呼に応えていた。
勝利宣言を行い支持者の歓呼に応えるクーバス氏
(1998年 5月12日)
開票が進み、大差が付いているのを確認して野党連合はライーノ氏、フィリソーラ氏、そして実力者・カバジェロ・バルガス氏と3人揃っての会見を行った。
一方、当選を果たしたクーバス次期大統領、アルガーニャ次期副大統領はワスモシ大統領を表敬訪問した。ワスモシ大統領とクーバス氏はよそよそしく打ち解けた様子は無かったようである。ワスモシ大統領にクーデターを企てたオビエド氏と組んだクーバス氏とは相容れないのは当然かも知れません。
(1998年 8月7日)
クーバス大統領・アルガーニャ副大統領が当選し、いよいよこの15日に大統領に就任します。この数ヶ月間、現政権への求心力は落ちており、国民は強力な新政権に期待し、見える成果を求めるいると思います。大統領に就任して直ぐ、どのような政策を打ち出して来るか注目です。
与党・赤党内では、オビエド・クーバス派、アルガーニャ派等に別れていて、政治への主導権を争う葛藤があると思います。
(1998年 8月8日):新閣僚発表
この15日に発足する、クーバス・新政権の閣僚名簿が発表されました。リノ氏の側近、クーバスの友人・親戚などで固められており、副大統領のアルガーニャ氏側の人は含まれておりません。クーバス・アルガーニャ政権ではなく、リノ・クーバス政権という色彩が濃いようです。
例を挙げると、大蔵大臣にはリノ氏に近い人物が、商工大臣にはクーバスの兄弟が就任といった状況です。
(1998年 8月15日):新政権発足
本日、クーバス大統領、アルガーニャ副大統領が就任しました。パラグアイ第44代大統領となり、就任式には、近隣諸国から7元首(メルコスール諸国、チリ、ペルー、ボリビア、エクアドル)が参列し、まずワスモシ旧大統領が施政5年の締めくくりの演説を行い、大統領のシンボルである「たすき」(バンダ)を国会議長に渡し、それをクーバス新大統領に渡しました。(写真)
クーバス大統領は直接ワスモシ旧大統領から「たすき」を受けるの拒んでいたそうです。とにかく(本当に色々と紆余曲折ありました。)「文民」-「文民」の大統領で政権が平和的にそれも任期満了で委譲され、民主主義の形は整いました。
(1998年 8月17日):新政権スタート
本日より本格的にクーバス政権がスタートしました。さてどのような政策が打ち出されるのか衆目の注目するところです。本日の新聞に掲載されている内容を要約すると
1・副大臣人事
副大臣にも、オビエド派として知られる人が要職に就いた。
2・経済政策
次のような経済政策が骨子になるようです。
(1)年間、約5千億グアラニ(現在 1ドル=2,850グアラニ)の財政赤字が見込まれるので大幅な経費節減を実施、公務員の削減は公約にもあり、行わないが残業手当その他の諸手当の見直し、削減を実施。かなり細かい点まで触れています。(例*電話の使用は1回最高5分)
(2)輸送業者には利益の30%税金を課す定める以外には特に大きな税制の変化は無く、国債も99年度には発行しない。個人所得税も引き続き徴収しない。(パラグアイには個人所得税が無い。)ただし、IVA(付加価値税)等の徴収は徹底して行う。
(3)電電公社、電力公社はいずれ将来には民営化する。
これを見ますと余り過激な政策を取る見込みは無いようです。
3・オビエド元将軍の拘束解除
これはかなり早い時期に実現する見込みです。
(1998年 8月19日):オビエド元将軍釈放
本日、大統領特別恩赦(刑期減免)が出て、クーデター首謀の罪で身柄が拘束されていたオビエド元将軍が釈放されました。
アルガーニャ派などではこれに抗議する動きがあるようです。
(1998年 8月20日):国会の反対決議
昨日6時間にわたり、国会で審議が行われ、昨日のオビエド恩赦に関する大統領政令は無効であるという決議を行った。これに対してクーバス大統領は今回の決定は合法的なものであり、問題は無いと突っぱねた。
一方、ワスモシ前大統領は身の危険を感じてかアルゼンチン大使館で一夜を過ごした。また、今回の組閣でただ一人アルガーニャ派と言われていたクーバス大統領の実弟・カルロス・クーバス商工大臣は今回の大統領の決定に抗議して、「これは真の独裁への道を開くものだ」と批判し、大臣を辞任した。
経済界では今回の政治的な混乱で新規の投資に悪影響が出てくることを懸念している。また為替に関しては中銀が介入し相場の維持に努めた。
(1998年 8月21日):クーバス大統領は合法性を強調
クーバス大統領は今回の決定は合法的であり、再考は出来ないと発言、これに対して議会は反発を強めているが、強硬な手段に出れる2/3の賛成を得るのは難しい情勢。また昨日難を逃れてアルゼンチン大使館に逃れていたワスモシ大統領は議会で宣誓を行い、終身上院議員としての活動を開始した。
(1998年 8月25日)オビエド与党赤党・党首選挙
オビエド元将軍が2週間後に来年行われる与党赤党・党首選挙に出馬する為のキャンペーンを開始すると述べた。昨日はクーバス大統領の誕生日を祝うため、一家で官邸に大統領を訪問、その健在振り、大統領との連携をアピールした。
地方、貧困層では人気が高いオビエド氏、党首選挙に勝利する可能性は高いかも知れませんね。アルガーニャ派等は大統領に続き党首もオビエドならびにオビエド派に取られると党が「オビエド党」になる訳で、強い反発が予想されます。
(1998年12月07日)オビエド特赦
クーバス大統領がオビエド氏を特赦したことに対して、最高裁は違憲という判断を出した。
(1998年12月22日)オビエド特赦・その2
最高裁は5-4でオビエド特赦に関するクーバスの大統領令は行政の司法に対する侵害で、司法の独立に抵触するとの理由で違憲という極めて常識的な判断を下したのだが、オビエド支持グループはこれを不服として抗議、対抗処置して実力行使に出た。22日はバスを10時まで全面的にストップさせ、この為、ただでさえ年末で混雑しているセントロ地区(アスンシオン市中央部)は終日大混乱した。また一部の支持者は5人の裁判官の罷免を求めて最高裁判所に押しかけ投石、乱入等の実力行使に出、警官隊との衝突に及び一部では怪我人も出た。しばらくは政治的混迷が続く模様。
(1999年01月09日)オビエド党籍抹消問題
新聞(EL DIA)は1月7日の紙面で、オビエド氏の党籍が抹消され、コンピュータの与党・赤党名簿から削除されたと伝え、これにより赤党・党首選挙にオビエド氏が出馬することは不可能になったとしている。さらに1月8日には、一面を割いて、「オビエド主義者-擬似軍事集団は憲法を冒涜した、UNACE(支持母体)は解散すべきだ」という見出しを付け、最高裁への襲撃事件、ワスモシ元大統領への発砲事件、国道封鎖などの写真を掲載してオビエド氏ならびにその支持基盤であるUNACEに対して不当性を強調した。
(1999年03月23日)青党ならびにエンクエントロ両党首が交代
大統領選挙で敗北した両党の党首選挙が行われ、青党はフリオ・セサール・フランコ、エンクエントロはエウクリーデス・アセヴェロがそれぞれ勝ちました。青党では長い間、ライーノ時代が続いていましたが、これで新たな時代を迎えることになります。
一方の与党・赤党ではオビエド問題がこじれにこじれており、大統領の弾劾裁判実施の為の投票が行われることになっています。司法の独立を主張する勢力がオビエド氏の拘束を求めているものです。この一年間この問題に終始しており、政府は全く機能しておらず、早期解決が望まれます。
ルイス・マリア・アルガーニャ副大統領、射殺される。(1999年 3月23日)
3月23日(火)午前8時53分、自動車が降りて事務所に入ろうとしているところを機関銃で撃たれ死亡した、享年66歳。実行犯は3人、ブラジル車で乗り付けてアルガーニャを狙い撃ちしたもの。実行犯の後ろにはもう一台随行している自動車があり、犯行後逃走した。犯人は捕まっていない。
犯人は下半身は軍服を着ており、軍関係者かと言われているが、カモフラージュの可能性もある。犯人の追跡の為に国境は全て閉ざされ、少なくとも3日間はパラグアイへの出入国は止められた。(橋、空港とも)
(写真)射殺されたアルガーニャ副大統領(ノティシア紙)
写真)アルガーニャ副大統領が利用していた日産・パトロール(ノティシア紙)
アルガーニャは1,932年、赤党の裕福な家庭に生まれ、13歳で入党し以降赤党の政治家として活躍した。54年に国立大学法学部を卒業、56年には法学博士の称号を受けた。ストロエスネル時代、83年から89年までは最高裁判所長官を勤め、89年ロドリゲス将軍による革命後91年まで外務大臣であった。98年の大統領選挙の際には赤党内の抗争の末、赤党・副大統領候補として選挙を戦い当選した。党内抗争の結果、大統領派(クーバス大統領・オビエド元将軍)とは決定的な溝を作り対立していた。
ルイス・マリア・アルガーニャ副大統領の葬送行進( 3月24日)
昨日、射殺され非業の死を遂げたルイス・マリア・アルガーニャ副大統領を乗せた霊柩車が市内のメインストリートを行進し、多くの支持者が別れを惜しみ見送った。
(写真)ルイス・マリア。アルガーニャ副大統領の葬送行進
(写真)霊柩車の後に延々と支持者が続く
事件前までは「リノ・オビエドを次ぎの大統領に」というオビエド支持者のステッカーを貼った自動車を多く見掛けたが、アルガーニャ支持者の報復を恐れてか全てはがわれて、全く見掛けなくなった。