コリエンテス市とアスンシオン市 (2009年 4月15日)
パラグアイ首都アスンシオンと一番似ている都市はどこかと言いますとアルゼンチンにあるコリエンテス市である事はまず間違い無いでしょう。アスンシオン市はスペイン統治時代、ラプラタ流域の中心都市であった当時には「母なる都市」と呼ばれここを拠点に多くの都市が作られ、その中の一つがコリエンテスです。コリエンテスはアスンシオンからパラグアイ河を下りパラナ河と合流した場所の少し下流に位置しています。両都市の距離は直線でおよそ300キロ程です。同時期に作られたことと、地形が非常に似ているので今でも似ているという訳で、同縮尺の航空写真で両都市を比較しますとよく分かります。河が北から南に蛇行して流れ半島のようになっています。アスンシオンから植民を目的に開拓に行った人達は多分良く似ている地形を見つけて喜んだ事で、道路の区画や幅も同じように作られたのだと思います。
その後、コリエンテス市はアルゼンチンの一地方都市となり、アスンシオン市はパラグアイの首都となりました。現在はコリエンテス市は人口30万人強、アスンシオン市は都市圏で二百万人に達する規模に成長していますが、セントロ・旧市街地に限れば大体同じ大さです。コリテンテスは要するにアスンシオンをもしアルゼンチンにしたらどのようになるのかという事を示しているように見えます。コリエンテスを訪問して感じたのは実に似ているという事で時々アスンシオンを歩いているのかと錯覚を起こす程です。コリエンテスの方が人口が少ない事もあって比較的のんびりとした雰囲気があり、アルゼンチンのお洒落な雰囲気もあります。
一番の違い、コリエンテスを訪問した感じたのは河岸がしっかりと利用されているという事です。アスンシオンは河岸は不法住居の貧困層に占領されてしまっており、河岸を行く道路も無くほとんど利用されていないのに対してコリエンテスはしっかりと活用されています。河岸に沿って中央分離帯がある大きな道路があり、散策や河岸で遊べるようになっており、市民の憩いのスペースとなっています。道路の反対側にはレストランなどが多くあり魅力的な観光スポットとなっています。アスンシオンも今からでも河岸をしっかりと利用する事を考えるべきでしょう。もう一つ感心したのは歩行者専用の商店街がある事です。市民が歩いてショッピングや軽食喫茶を楽しめるようになっており、家族連れや若い人のグループで賑わっています。アスンシオンのセントロにはゆっくりと歩いて散策して楽しむ場所はありませんのでこれを見ますとパルマ通りから自動車を完全に締め出し歩行者専用の道路にするべきであると思います。両都市を見る限りでは残念ながら計画的に住み良い都市にする知恵はアルゼンチンの方が勝っているように見えます。
コリエンテスとアスンシオンのもう一つの違いはコリエンテスでは対岸まで橋があり、アスンシオンには無い事です。アスンシオンの場合には反対側に行く為には大周りをしてセントロから20キロも離れた橋を利用するしかありませんが、コリエンテスの場合には市街地の中心から直ぐに反対側に行く事が可能です。アスンシオンの場合には川幅がコリエンテスの半分しか無いにも関わらず橋がありません。これは国防上の問題からなのでしょう。アスンシオン・セントロの反対側の南半分はアルゼンチン領となっています。要するにセントロからアルゼンチンに国境を跨ぐ橋を架ける事は左程難しい事ではありません。現在はアルゼンチンに行くには対岸にあるセントロから直線距離で2,3キロの国境まで行くのに50キロ程迂回して行かなくてはなりません、そして入国には煩雑な手続きが必要でアルゼンチンに簡単には行く事が出来ません。もし国境の橋が出来てしまいますと大統領府から自動車で10分でアルゼンチンに行く事が可能となってしまい問題になってしまうので敢えて架橋しないのでしょう。もしメルコスールが進展してEUのように往来がノーチェックになりここに橋が架けられますと双方が眠りから醒めたように活気が出て来る事は間違いないと思います。特にアルゼンチン側には現在はほとんど何もありませんので急速に変化すし、ボーダレス化が進んでいる状況からそのような未来は確実にやって来る事でしょう。そのような時代になった時にはアスンシオンは再び南米の中心として輝くのではないかと期待しています。
コリエンテス市
アスンシオン市
パラグアイとボリビア (2010年 8月30日)
南米には12の独立国がありますがその中で内陸国はパラグアイとボリビアだけです。隣同士の二つの国は似ている点も多くあり、また地勢的に置かれている立場も共通するのですが、70年ほど前に列強の思惑もあり、地下資源が豊富にあるのではないかと考えられたチャコを巡り戦争となり未だにそのしこりが残っているように感じます。例えば勿論両国は陸続きで道路で結ばれてはいますが、通常の自動車が通行出来る道路は一本だけでそれも国境付近が未舗装のまま放置され簡単には往来が出来ない状況です。また空路にしても両国の首都であるアスンシオンとラパスを結ぶ直行便が就航したのは今年で、それも深夜の非常に不便な時間に「おまけ便」として飛んでいるだけで、到底隣国とは信じられない現状があります。日本の人は地図を見てアスンシオンから簡単にボリビアに抜けられると思っているようで、実際に当地に来て苦労される方も多いようです。相手への関心も薄くパラグアイでボリビアを思い出すのはサッカーの南米予選の時と盗難された自動車のマーケットとしてだけという話もある程です。
歴史的にはパラグアイはアルゼンチンなどのラプラタ諸国の一員という感じなのに対してボリビアは元々はアルトペルー(ペルーの高い部分)と呼ばれていたようにペルー等のアンデス諸国との繋がりが強く文化的にはペルーとよく似ていて、隣国パラグアイよりも国境を接していないエクアドルやコロンビアに親近感を抱いているように見えます。同じラテンアメリカそれも隣国でこれだけ差異が大きいというのも珍しいと思います。ただ、両国には意外に補完関係にあり、将来的には協力関係が確立出来れば良いパートナーになって行く可能性があると思います。人口を比較しますとボリビアは1千万人を超えたところ、一方のパラグアイは650万人とかなりの差がありますが、ドル建てのGDPを比較しますとほとんど同じ規模で推移しています。経済の内容は大きく異なりボリビアは鉱山資源が中心なのに対してパラグアイは農牧産品が主体です。地下資源特に化石エネルギー資源が未だに発見されていないパラグアイですのでボリビアの天然ガス等は魅力です。
両国とも人口の増加と共に急速に経済発展を遂げており、この勢いが続けば近い将来お互いの存在をより強く意識する時代が到来すると想像しています。ブラジル、アルゼンチンの南米の両大国とは異なる路線を進み、自国の国益を主張するには立場を同じにする仲間が必要で両国が協力して行けば双方の利益になると思います。しかしながら実際にはアスンシオンで周囲の人にボリビアについて尋ねてもほとんど知らず、チャコ戦争に勝利した事で見下す傾向もあり、低所得人ばかりの貧乏な国と信じ込んでいるのが実情で、ラパスに観光旅行に行くと言いますと不思議そうな顔をされてしまいます。このような人にラパスの方がアスンシオンより大きく近代的と説明しても信じず、撮影した写真を見せると発展ぶりに驚きようやく関心を示します。将来的にはパラグアイとボリビアで色々なレベルで特に若い人たちの間で交流が進み、理解が進めば状況は変わり、近くて遠い両国の関係が真に隣国の関係になり南米の中央部に位置するだけに面白い展開になる事でしょう。
人口の増加 (2011年 5月23日)
パラグアイの人口は現在約650万人ですが、近年人口の増加率が鈍化しています。
年 | GDP | 増加率 | 人口 | 増加率 | GDP/人 |
– | 千ドル | – | – | – | ドル |
2000 | 7,251,642 | 5,346,267 | |||
2001 | 7,401,336 | 2.06% | 5,456,418 | 2.06% | 1,356 |
2002 | 7,397,741 | -0.05% | 5,566,852 | 2.02% | 1,329 |
2003 | 7,681,785 | 3.84% | 5,677,448 | 1.99% | 1,353 |
2004 | 7,999,448 | 4.14% | 5,788,088 | 1.95% | 1,382 |
2005 | 8,228,111 | 2.86% | 5,898,651 | 1.91% | 1,395 |
2006 | 8,585,255 | 4.34% | 6,009,143 | 1.87% | 1,429 |
2007 | 9,165,731 | 6.76% | 6,119,642 | 1.84% | 1,498 |
2008 | 9,699,803 | 5.83% | 6,230,143 | 1.81% | 1,557 |
2009 | 9,326,691 | -3.85% | 6,340,639 | 1.77% | 1,471 |
世界一前向きな国 (2012年12月22日)
パラグアイは汚職ランキングなど世界ランキングで上位に来る時には余り良い事では無い場合がほとんどですが、今回ギャラップの「世界前向きランキング」で堂々一番となりました。良い事で世界一というのは嬉しいことですね。日本の新聞でも取り上げられており、日本での受け止め方は上位10位の中で7ヵ国が中南米という事でやはりラテン系というものです。ただその7ヵ国の顔ぶれを見ますと南米よりも中米の国が上位に来ているのは少々意外でした。IMFによる来年の経済成長予想ではモンゴル、イラクに次いで世界3位の11.5%とこちらも上位に名を連ねています。2012年は歴史の転換点になるという事はマヤ暦など色々と言われていますが、今まで世界をリードして来た先進国に翳りが出て南米は相対的に目立つ存在になって来たようです。世界的に不況と言われ閉塞感が蔓延しているようですが、手付かずであった南米はその可能性から基本的には成長路線であり、注目されるようになったのでしょう。パラグアイは基礎インフラを整備ししっかりと教育を行えば成長の余地は大きいと思いますが世界の皆さんがその事に気が付いたのでしょう。今の時点ではまだまだやれる事が多いパラグアイ、世界からますます注目を受け、多くの投資がならされ、しばらくは経済成長して行く事でしょう。
「前向き」世界一は中南米 日本59位 米調査(共同)
中南米の人は楽天的-。米調査会社ギャラップ社が世界の国民の「前向き度」を調べたところ、上位10カ国に中南米の8カ国が入ったことが20日までに明らかになった。日本は59位だった。 同社は148カ国の国民千人ずつに電話や対面で、前日に「よく休めたか」「面白いことがあったか」「たくさん笑ったか」など5項目を質問。それぞれに「はい」と回答した比率の平均を算出した。 パナマとパラグアイが85%と同率首位となり、エルサルバドルとベネズエラが84%で続いた。5位にタイ、7位にフィリピンが入った以外はベスト10を中南米の国が占めた。最下位は46%のシンガポール。日本は72%でラオスなどと並んだ。昨年の調査のため、東日本大震災が回答に影響を与えた可能性もある。
幸福ランキング、中南米が上位独占 ブータンは? ギャラップ調査
米世論調査会社ギャラップが21日発表した、138カ国・地域を対象に実施した「ポジティブ感情」調査によると、トップ10のうち9カ国を中南米が占めた。3年連続で1位となったパラグアイでは、回答者の87%が前の日にポジティブな気分を味わったと返答。笑ったり、十分な休息を取ったり、敬意を払われたりしたことが気分を上向かせたという。ランキングでは、これにパナマ、グアテマラ、ニカラグア、エクアドルが続いた。 反政府デモが経済を疲弊させ、国民生活を破壊しているベネズエラでさえ、前向きな気分を持っていると答えた割合は81%に上った。中南米以外でトップ10入りを果たしたのはデンマークのみで、同国は健康や幸福の項目で継続的に高い点数をあげている。米国は複数国と同率で19位。日本は58位だった。調査によると、「中南米で前向きな感情を伝える人がそれほど多いのは、人生のポジティブな面に焦点を当てる地域的な文化傾向が少なくとも反映されている」という。最下位は内戦の続くシリアで、前日に笑ったり、休息を取ったり、敬われたりしたと答えたのは36%にとどまった。ギャロップは8年前からこの調査を続けているが、この数字は過去最低となる。 シリア以外で順位の低かった国は、下からチャド、リトアニア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、セルビア、ネパール、ベラルーシ、イエメンの順となった。
目指すはハリウッド映画の生活 (2014年02月03日)
パラグアイで生活をしていて生活レベルの高い人はパーティーが大好きで豪邸に住み大きな自動車に乗り豪華な生活をしています。バカンスはマイアミにというのが富裕層の人の感覚です。何でも全てが米国が理想、留学も出来れば米国の大学に行きたいと考えている人が多いのは確かで欧州や日本に行こうと考える人はまず居ません。何故なのか余り理解出来なかったのですが、あるパラグアイ生まれの人からこれは「パラグアイ人はハリウッド映画の生活を理想としているからだ」というのです。日本など自国で映画やドラマを制作している国ではテレビや映画等に出て来る生活は現実離れしている場合が多く、実際に日常というのは映画のようでは無く地味で同じような毎日の繰り返しで在る事を理解しているものですが、パラグアイでは自国でドラマや映画がほとんど制作されず、たまに出て来てもマーケットに住む貧困層が主人公というようなもので憧れを抱くような世界を描いてはいません。
パラグアイの富裕層はハリウッドの映画を見て育ち楽しく、明るく、豪華なアメリカンライフに憧れを抱くようになり、映画の中の世界を実現する事に意欲的であるというのです。確かに米国の一部の富裕層そして映画俳優、スポーツ選手などは高額な所得を得てビバリーヒルズなどに住み豪華なパーティーを頻繁に開催するような暮らしをしているのかも知れませんが、多分大多数の米国人は多くの日本人と同様に質素堅実に同じような毎日が続く日常が続く暮らしていると思いますがそこは余り理解していないようなのです。言われてみますとパラグアイ富裕層のパーティーは映画のようで、豪華なものになりますと映画を超えるとと感じる事もあります。豪華なパーティーを行って休暇は豪華なクルーザーで楽しんでいるという生活を理想としているようなのでしょう、従ってパラグアイ人のフェイスブックはパーティーの様子で溢れています。
米国で暮らしたい、米国の大学に行きたいと言っているのもハリウッド映画の中の世界で暮らせると考えているからのようです。実際に行きますと想像とはかなり異なる現実にぶつかりますが見えっ張りな多くのパラグアイ人は自国に留まっている友人達には如何に映画のようなアメリカンライフを楽しんでいるかという情報を発信し、なかなか実際の生活が見えて来ないというのです。しかしながら先進国に憧れている、米国に劣等感を持っているのでは全く無いと思います。日本において戦後テレビで米国のホームドラマを見て日本人はその豊かなライフスタイルに驚き自分達の生活水準を引き上げる事に熱心であったようにもっと単純にアメリカンライフを実践しようとしているのだと思います。
大きな問題としては欧州や日本が理解されていないことが挙げられます。パラグアイのテレビでは米国の映画・ドラマが中心で欧州や日本の情報はほとんどありません。日本に関してはハリウッドの映画に出て来る珍奇で変な国という印象しかないでしょうし、欧州ですら米国の欧州観、例えば英仏独などは古臭くて気難しい人達というイメージが固定している事です。パラグアイでは教育が重要と叫ばれていますが世界に関して実態をしっかりと教えて行く事は難しいでしょうが非常に大切な事で在ると思います。
(写真:ビバリーヒルズの商店街)
(写真:ハリウッド)
インフレと物価 (2014年05月31日)
日本からパラグアイを訪問される方で意外と思われるのが物価です。口を揃えて「想像していたよりも高い」とおっしゃいます。確かに昔は世界一物価の安い首都と言われており日本から来られた方と一緒に食事をするとその安さに驚かれたものです。一緒に外食に行きますと「日本では家族で食事に行く代金一回でビデオデッキが買える」というような話をされこちらが驚いたものです。反面ドル価格で取引される物品、自動車などは中古を含めて結構な値段していましたので高いという印象でした。
為替の変化と政府発表のインフレ率を並べてみました。多分他の国でも同じであると思うのですが多少抑え気味になっていて庶民感覚からみますともう少し高いように感じます。その小さ目な発表の数字を用いてこの15年のインフレと為替を比較した表を作成してみました。インフレ累計が250%近く要するに2.5倍になっているのに対して為替がほとんど変動していない事が分かります。ドルで考えると物価が2.5倍に上昇したという事です。日本の円はこの間ドルに対して円安に動き、インフレは限りなくゼロに近い状況が続いています。簡単言いますと日本の物価と比較して約3倍になったと言えます。パラグアイのインフレ統計の中でドル建ての大型耐久消費財、たとえば自動車等はほとんど上昇していないので生活実感は統計の数字以上のものがあるように思います。
外食を例にとりますと現在一般的なブラジル風焼き肉レストランでは一人10万グアラニが普通になっています。少し良いレストランに行きますと一人20万グアラニは覚悟する必要があります。20万グアラニと言いますと現在の為替レートでは5千円を超える額となります、正直食べ物の内容は両国で異なりますが現在では日本の方がかなりお得という印象です。昨年DVDの再生機を買いに行きましたがソニーの製品が50ドルと言うのです、これはグアラニでは20万グアラニ、普通のレストランで二人で食事する値段でした。パラグアイでも食事一回でDVDデッキが買える状況となっていました。ただ自動車に関しては価格設定がドル建てであるのと競争によって価格が下がり安くなっているという印象です。見栄っ張りな国民性のパラグアイ人は高級車が大好きなようで街に溢れる状況となっています。
(表:年間インフレ率と為替)
(写真:空港の両替店・2014年 5月30日撮影)
難しい国歌 (2015年12月24日)
パラグアイの国歌は実に難しい。旋律が難しいうえに歌詞が難しく合っていない、早口言葉を話すようにして歌います。そして前奏が長くこれだけで約1分あります。おまけに7番までありグアラニ語バージョンまであるそうです。パラグアイの人はこれをしっかりと学校で覚えるのでしょうがしっかりと歌えるようになるのは大変です。後半テンポが変わり速くなり連呼するのですが、早口言葉のようになります。まずまず
パラグアイ国歌
パラグアイ人達よ、共和国か死か(スペイン語: Paraguayos, Republica o Muerte)はパラグアイの国歌。
フランシスコ・アクーニャ・デ・フィゲロア (Francisco Acuna de Figueroa) 作詞、フランシスコ・ホセ・デバリ (Francisco Jose Debali) 作曲。両者はウルグアイの国歌の、それぞれ作詞者・作曲者でもある。
1番
A los pueblos de America, infausto
Tres centurias un cetro oprimio,
Mas un dia soberbia surgiendo,
!Basta! dijo…, y el cetro rompio,
Nuestros padres, lidiando grandiosos,
Ilustraron su gloria marcial;
Y trozada la augusta diadema,
Enalzaron el gorro triunfal.
コーラス
Paraguayos, !Republica o Muerte!
Nuestro brio nos dio libertad;
Ni opresores, ni siervos alientan
Donde reina union, e igualdad.
2番
Nueva Roma, la Patria ostentara
Dos caudillos de nombre y valer,
Que rivales, cual Romulo y Remo,
dividieron gobierno y poder…
Largos anos, cual Febo entre nubes
Viose oculta la perla del Sud,
Hoy un heroe grandioso aparece
Realzando su gloria y virtud…
3番
Con aplauso la Europa y el Mundo
La saludan, y aclaman tambien
De heroismo valuarte invencible
De riquezas magnifico Eden
Cuando entorno rugio la Discordia
Que otros Pueblos fatal devoro,
Paraguayos, el suelo sagrado
Con sus alas un angel cubrio
4番
Oh!, cuan pura, de lauro cenida,
Dulce Patria te ostentas asi
En tu ensena se ven los colores
Del zafiro, diamante y rubi.
En tu escudo que el sol ilumina,
Bajo el gorro se mira el leon.
Doble imagen de fuertes y libres,
y de glorias, recuerdo y blason.
5番
De la tumba del vil feudalismo
Se alza libre la Patria deidad;
Opresores, !doblad rodilla!
Compatriotas, !el Himno entonad!
Suene el grito, !Republica o Muerte!
Nuestros pechos lo exhalen con fe,
Y sus ecos repitan los montes
Cual gigantes poniendose en pie.
6番
Libertad y Justicia defiende
Nuestra Patria; Tiranos, !oid!
De sus fueros la carta sagrada
Su heroismo sustenta en la lid.
Contra el mundo, si el mundo se opone,
Si ententare su prenda insultar,
Batallando vengar la sabremos
O abrazo con ella expirar.
7番
Alza, oh Pueblo, tu espada esplendente
Que fulmina destellos de Dios,
No hay mas medio que libre o esclavo
Y un abismo divide a los dos
En las auras el Himno resuene,
Repitiendo con eco triunfal:
!A los Libres perinclita gloria!
!A la Patria laurel inmortal!
空耳歌詞 | 和訳 | ||
西Ⅰ | (前奏 46秒間)あーろす ぷえー ぶろーでぃあめー りか ふぁーあーうす とぇすぇん とぅーりゃす うーん せーとろ おーぶりみょまーすぅん でぃー あーぞーべー びぁーする げぇーえーんど ばーすたー でぃーほ いぇる せーえーえー とろびょぬぇすとろす ぱーぁでり でぃやーんどぐらん でょーおーおーそす いーりゅー すとらぁーあ ろん すー ぐろーりゃー まるしゃるいーとろーさー だーらー うーすとらぁ でぃあー でーーま えーれーなーさー ろん えぇる ごーろ りぅん ふぁーーあ いーとろーさー だーらー うーすとらぁ でぃあー でーーま えーれーなーさー ろん えぇる ごーろ りぅん ふぁぱらぐあい よずぇぶー りっかぉ むぇあて ぬえすとろぶりー よのでぃ お りべるたーあ にょぷれそー れじにぇる ぼるさ りえんたーーん どんで れーにゃ う にょんえ えーぐぁ だーーあ にょぷれそー れじにぇる ぼるさ りえんたーーん どんで れーにゃ う にょんえ えーぐぁだあ う にょんえ えーぐぁだあ う にょんえ えーぐぁだあ | 西Ⅰ | (前奏 46秒間)不幸なるアメリカの民を、 3世紀に渡り、ある王の杖が妨げてきた。ある日怒りは爆発し、「もうたくさんだ!」 そう言って、王の杖をへし折った。我らの祖先は華々しく戦い、 武勲を飾った。いかめしい王冠は粉々に砕け散り、 我らの祖先は勝利の帽子を高く掲げた。 いかめしい王冠は粉々に砕け散り、 我らの祖先は勝利の帽子を高く掲げた。パラグアイ人達よ!共和国か死か! 我らの勇気がもたらした自由。 連帯と平等が君臨するこの地には、 虐げるものも虐げられるものも存在しない。 連帯と平等が君臨するこの地には、 虐げるものも虐げられるものも存在しない。 連帯と平等。 連帯と平等。 |
パラグアイの物価高を考える (2018年 2月14日)
2000年前後には確かアスンシオン市の物価は首都の中で世界一安いと言われていました。その当時、現在でも人気のアスンシオン市内のブラジル風焼肉料理・シュラスコ店「オ・ガウーショ」が開店した際にプロモーションがあり、一人15,000 グアラニという料金でした。韓国料理店では大体一人当たり1万グアラニというのが当時の相場で、日本から来られた方に食事をご馳走する際には「いやー、日本のコーヒー代程度です。」と言ったものです。スーパーに行って買物しても肉や野菜などが本当に安かった。対ドルの為替の変動は余り無く、この間にインフレが進んだ結果、現在のように物価が高い、その中でも特に外食費が高くなったと思います。
2001年から昨年2017年まで17年間のパラグアイ、米国、日本のインフレ指数と為替(ドル/グアラニ)を表にしてみました。2000年を100として表記します。2017年末にインフレ累計がそれぞれ自国の通貨建てで 283.47 147.82 101.85 となっています。為替の変動を計算してみますと米国の物価と比較して1.44 倍、日本の物価と比較すると実に 2.52倍という結果になりました。要するに米国と比較すると約1.5倍高くなり、日本と比較すると約2.5倍高くなったという事になります。
確かに2000年当時、日本に行きますと何でも非常に高く何かを買う時、食べる際にグアラニに換算しないようにしていました。よく感覚的に日本から来られた方に「大体この20年間で日本と比較して2.5倍になった」と言って来ましたが、計算の結果はそれを裏付けるものでした。パラグアイに来られる方で、少し前の情報を元に「パラグアイは物価の安い国」と思い込んでいて、実際に当地に到着し驚いている方が多いので注意が必要です。アルゼンチン、ブラジルはパラグアイよりも更に物価高のようで、「南米は、物価は高い」というのが現代の常識のようです。かつては世界一物価が高い首都と言われた東京ですが、為替の変動が余りない中でデフレ傾向が続いていますので、今では「物価の安い都市」になり、その為、外国人観光客が押し寄せているのしょう。今後も物価の推移には注意を払って行きたいと思います。