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パラグアイのオムライス

あの有名な村上龍が「パラグアイのオムライス」なる小説を書きそれが高等学校の教科書に使われているという事を知りました。パラグアイのオムライスとは何とも不思議な題名ですね。

(ある方からの情報)
パラグアイという国は、皆さんも知ってのとおり、大変マイナーです。ブラジルやアルゼンチンは、知られています。しかし、ウルグアイ、パラグアイとなると・・・。ところが、ウルグアイは、学校では、「ウルグアイラウンド」というのがあって、それ以来、「わけわからんけど、覚えろ」という感じです。しかし、これが、パラグアイとなると、本当にとっかかりがありません。しかし、数年前から、この状態が一変しました。それが、この「パラグアイのオムライス」です。パラグアイ自体は、借景として、ほのぼのとした家族愛みたいな話です。大修館という出版社の教科書ですが、職業高校を中心として、割と採用される率が高い教科書です。ということで、日本全国の何割かの生徒が1年生で、「パラグアイのオムライス」という小説を鑑賞します。実は、数年前から、教科書のどこでも好きなページをカラーページにして良いようになりました。それまでは、カラーページは、巻頭などの一ヶ所に集め、カラーページの枚数も指示されていました。理由は、教科書代を安くするためです。しかし、規制が緩和されて、小説の間にカラーページを入れてよいようになりました。ですから、教科書の「パラグアイのオムライス」は、最初のページが、イグアスの滝のカラー写真のページで、それで生徒の気を引いて、話が始まるのです。パラグアイの宣伝としては、これ以上のものはありません。


パラグアイのオムライス(2005年 8月22日)


パラグアイのオムライス (村上龍)

滝で有名なイグアスは国境の町でもある。
イグアス川、パラナ川を境にして、アルゼンチンとパラグアイに接している。
私はちょっとしたビデオの作品のためにそこを訪れた。まだ十代の女性歌手のプロモーションビデオである。
十七歳の娘のくだらない歌のためにわざわざ地球の裏側まで出かけなくてもいいのにと思ったが、外貨獲得のためだろうがブラジルは世界で最も撮影に協力的な国であり、人件費は安く、航空会社とのタイアップが組めれば昨今流行のCGなどよりかえって安上がりなのだ。
コンセプトは、巨大な滝をバックに女の子が歌うというまったく単純なものだった。
女の子の歌は「素敵な地獄」というまるでアルチュール・ランボーを連想させるタイトルの割には内容が平凡でとても興味は持てなかったが、滝の方は私の想像をはるかに超えていた。
イグアスの滝はブラジル側とアルゼンチン側に分かれる大小三百を越すばく瀑ふ布群から成っている。
その幅は四キロに及びナイアガラやビクトリアの比ではない。滝は真上からヘリコプターで見るとU字形をしていて、その最も奥まったところは「悪魔ののど喉くび首」と呼ばれる大瀑布となっている。
滝の上は、川ではなくまるで湖のように広い。ほとんど波も流れも見えない。幅一メートルほどのコンクリート製の橋を「喉首」に向かって歩いていくとジェット機の爆音に似た音がしだいに大きくなり、向こう側に幻の火山があるかのように空高く水煙が上がっている。
 そして、滝は突然に始まる。
 その景観は一瞬のうちに見る者からあらゆる形容の言葉を奪い取って、とてもこの世のものとは思われない。
 十七歳の少女は「悪魔の喉首」から突き出た展望台の上でか可わい愛らしく踊りながら口をパクパクさせた。彼女がみず水しぶき飛沫でずぶぬ濡れになるのを防ぐために厚手のビニールシートを高く張らなければならず、各国からやって来た観光客たちは、巨大な滝を背景になぜ少女が踊っているのか理解できずしきりに首をひねり、あなた方はいったい何の撮影をしているのかと聞いてきた。
 撮影二日目の夜、現地のガイドが、日本食レストランに案内してくれた。イグアスは人口十五万の町だが、日本料理屋はない。
 シウダ・デル・エステという、パラグアイの街にあって、そこへ行くにはパラナ川にかかる橋を渡り、国境を越えなければならない。
 シウダ・デル・エステは無税商店の集まる街である。買って三十分もすると動かなくなるニセモノのブランドの時計を売る露店が並び、ブラジルではほとんど手に入らないスコッチやコニャックが無税で売られ、何軒かは本物のブランドものを売る高級店もある。商店が閉まる日曜と深夜を除いて、街は常に人であふれ、品物を持ち込もうとする者と持ち出そうとする者で橋はいつも渋滞し、税関のまわりはクラクションと怒号でまるで戦争のようなにぎやかさだ。
 「にじ虹、見ました?」
と、少女が橋の上で動かない車の中でそう私に聞いてきた。
 「滝の虹のこと?」
 「そう、見ました?」
 「見たよ、だって、ずっと出てるんだもの。」
 「あれ、映りますか?」
 「カメラに? うん、もちろん映るよ。」
 よかったあ、だってきれいなんだもん、と言って少女は笑った。彼女は撮影の合間にいつも両親あての絵ハガキを書いた。ていねいな字で、時々動物や自分の顔のイラストを入れながら、L・Aやリオでも時間があればハガキを書いていた。
 距離は十キロ足らずなのに一時間もかかって日本料理屋に着き、少女はメニューを見て、わあ、オムライスがある、とうれしそうに言った。
 その次の夜も少女のリクエストでパラグアイの日本料理屋へ行き、彼女はまたオムライスをオーダーした。
 帰りの車の中で、絵ハガキは何枚になった? と私は聞いた。
 「六枚書きました。」
 「全部、おとうさんとおかあさん?」
 「そうです。」
 「親孝行なんだね。」
 「遠くに来てるから心配してると思うし、それに、滝でも一枚じゃどんなにすごいかわからないでしょう? きれいな鳥や動物のもあるし、うちはみんな動物が好きだから。」
 「ボーイフレンドとか、出さないの?」
 「おにいちゃんに出したいんだけど。」
 「あ、兄貴がいるのか、そんな感じだね。」
 少女は少し黙って下を向き、小さな声で、住所がわからないんです、と言った。そうか、と私はあい曖まい昧に返事をして、橋の下で釣れるドラードという黄金の魚に話題を移した。住所がわからない、という少女の口調がそれまでとは違ってひどく寂しそうだったからだ。
 「ドラードはね、さけ鮭に似ているんだけど、からだ全体が金色なんだ、ドラードってスペイン語で黄金って意味だからね。」
 「見たことあるんですか?」
 「写真だけだけどね。」
 「ここで、釣れるんですか?」
 「うん、数は昔より減ってるけど、釣れるそうだ。」
 少女は窓から街と橋のあか灯りを映す暗い川をずっと眺めながら、見てみたいなあ、とつぶや呟いた。
 その次の夜も、またその次の夜も少女はパラグアイへ行きたいと言った。三日目まではスタッフも、よほどオムライスが好きなんだね、と苦笑しながら付き合ったのだが、四日目になるとさすがにみないやな顔をした。ガイドまでが頭をか掻いて下を向いてしまった。決してまずくはないのだが、メニューが限られていてみんな飽きていたのだ。橋の渋滞や街の人混みも毎日の撮影の疲労に重なって余計不快に感じられてきたところだった。
 あの、あたし、一人でタクシーで行っちゃいけないでしょうか? と少女が言って、マネージャーからきつくしか叱られ、目には涙があふれてきた。
 結局、わがままな歌手になってはいけないと反対するマネージャーを説得して私が連れていくことになった。実はボクもあそこの魚フライが食べたいんだ、と私はマネージャーにうそ嘘をついたのだ。
 「そんなにオムライスが好きなの?」
 うれしそうにスプーンを口に運ぶ少女に私はそう聞いた。
 「はい、好きです、でも、オムライスってとても手間がかかるんですよ、だから、ファミリーレストランとかドライブインとかないでしょう?」
 「パラオにはあるよ。」
 「そのお店知らない。」
 「店じゃない、島だよ、グアムの近くにある島だけど、昔、日本軍の基地があって日本人がたくさんいたから、今でもレストランのメニューに残ってるんだ。」
 「グアムなら撮影で行きました。」
 「グアムからも絵ハガキを書いたの?」
 少女は恥ずかしそうに肩をすくめ、うなずいた。
 「やっぱり何枚も出したの?」
 「二枚だけ、海とや椰し子の木ばっかりで、あんまりいいのがなかったから、でも、天才だと思いません?」
 「天才?」
 「オムライスを発明した人ですよ、ケチャップ御飯を薄焼き卵で包むなんて、とってもすばらしいアイデアだと思うな、きれいだもの。」
 「昔から好きだったの?」
 「うちはあんまりお金持ちじゃなかったんです、だからおすしとかそういうのってあんまり食べに行かなくて、日曜日とかはデパートに行って、アーケードの商店街があるんですけど、そこを家族でずっと歩いていつも行く食堂があって、そこはちょうどあたしと同じくらいの子供がいて、その子供が病弱で、その店の人とあたしのおとうさんがお友だちで、日曜日にはいつもその食堂に行ったんです、おとうさんは照れ屋だったし、ほかのあんまり知らないお店はいやだったみたいで、それでね、いつも決まってるの、おとうさんはチャーハンで、おにいちゃんはカレーライスで、おかあさんはハヤシライスなの、おにいちゃんは中学校に行ってからカレーとウドンと二つ食べたりしてたけど。」
 私は、その食堂とこのパラグアイの日本料理屋がきっと似ているのだろうと思った。
 「で、君はいつもオムライスだったんだね。」
 「そう、あたしが頼むと店の人が小さな旗を立ててくれたの、ほかの人が頼んでも旗はついてないんですよ。」
 その時入口の扉が開いて、現地人の少年がビニール袋を下げて入ってきた。ビニール袋には金色の魚が入っていた。釣り上げたドラードを売りに来たのだろう。
 少女は歓声をあげて黄金の魚を見に行き、早く早く、と私を呼んだ。あご顎が切れて一筋の血が垂れ、腹のあたりで赤黒く固まっている。
 ドラードを抱く少年を囲んで私達は記念写真を撮った。
 「素敵な地獄」はあまりヒットしなかったが少女はその後も何枚かレコードを出し時々テレビにも出演している。写真を送ってあげた時一度だけ電話があった。
 「あれからオムライス食べたかい?」
 いいえ、と彼女は言った。東京って本当にオムライスがないんですね、あの時うんと食べてて、本当によかったわ……。

この小説はイグアス地区のブラジル、要するにフォス・ド・イグアス市が舞台になっています。フォスの事を「イグアス」としているのですね。そして日本食を求めてエステ市に行く筋書きになっています。エステ市には現在は日本食のお店はありませんが、数年前までは寿司屋が一軒とニュートーキョーという日本食の食堂がありました。また10年くらい前までは大阪というレストランがあったそうで、この中のどこかにオムライスがあったのでしょうね。

現在は売られている商品はデジタル製品ばかりになっていますが、この小説の時代はまだ雑貨やウィスキーなどが中心であったようですね。何となくパラグアイらしいですが、時代も変化し違和感もあります。日本人の旅行者である作家が書くとこのようになるのでしょうね。

さて、「パラグアイのオムライス」ですが、実際にはどのようなものなのか、アスンシオンのホテル内山田の食堂を見てみましょう。メニューのサンプルを改めて見ますと右の方にしっかりと鎮座しています。オムライスがあります。

(写真:しっかりとオムライスがあります:内山田)

実際に注文してみますと見事なオムライスが出て来ました。これは正真正銘の「パラグアイのオムライス」です。サンプルよりもかなり大きく量が多いように見えます。中にはケチャップで味を付けたご飯がたっぷりと入っています。

(写真:パラグアイのオムライス-01:内山田)

サンプルもそうですが、通常ですと両端が細くなっているのですが、これは長方形です。ボリュームが多いのでしょう。味もしっかりとしておりオムライスの王道を歩いていると思います。

(写真:パラグアイのオムライス-02:内山田)


(ある方の感想)
誰だったか忘れたけれど、「この味がいいねと君が言ったからなんとかかんとか、サラダ記念日」という歌があった。実際には、「この味がいい」と言われたのは、カレーだったそうです。でも、「カレー記念日」にすると、色が悪いから、サラダにしのではないかと思います。そんなわけで、パラグアイのオムライスは、ひょっとして、パラグアイのエビフライだったんじゃないなかと思っていました。でも、パラグアイのエビフライでは、名古屋人の思い出みたいにローカルな話になっちゃって、下町っぽさが出ない。言葉のイメージを考えると、やっぱり、ここはオムライスしかないなと思いました。そして、そのオムライスが現実にあったなんて、本当にうれしいです。オムライスばかり食べているアイドルはいなかったかもしれない。でも、あんまり流行っていない食堂のオムライスというのは、今生きている人たちのある世代に共通する郷愁のような気がします。そして、ふと気が付くと、もう日本のどこにもそんな世界は残っていなくて、なぜか、パラグアイにひょっこり残っていたというのも、非常にありそうなことのように思います。私たちが、豊かさの中で忘れてきたものとでもいうのでしょうか。田中さんのアップしたページをみて、ふとそんなことを考えました。


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